Whatever choice you make

あたまのなかのことばたち

ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』第一次世界大戦と『論理哲学論考』/L・ウィトゲンシュタイン 丸山空大[訳]星川啓慈・石神郁馬[解説]

ウィトゲンシュタインという名は、谷賢一主宰のテアトル・ド・アナール「従軍中のウィトゲンシュタインが(略)」

www.theatredesannales.info

ではじめて知って、なんとなく気になっていたんだけど、一度批評家の本を読もうとしてわけわからなくて断念してしまった。

で、なんとなく苦手意識をもっていたんだけど、今回、ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」を読んでかなりシンパシーを感じてしまった…。

ルサンチマン爆発っていうか…。人間・ウィトゲンシュタインに触れられたから。

 

なんというか、NEVERまとめを読むとすごい人です。

matome.naver.jp

 

言葉は世界を写し取るためのもの、でも、言葉でも説明できないものがある。

わたしの言語の限界は、わたしの世界の限界を意味する。

人生で悩んで意味があるのは具体的な問題だけであり、それ以外の問題はそもそも発想が間違っている。

 

ウィトゲンシュタインは「語ることのできる領域」と「語ることのできない領域」との間に明確な線引きをしたのである。そして、「真なる事柄を語る場合にはこうしなければいけない」ということを示し、「語りえないものについては何も語ってはいけない」と命じたのである。

 

いやあなんとなくわかるようでわからない、でも、なんとなく感じはわかる。

こうすぱっと言われると、わたしが目下悩み中の仕事だとか人間関係のことだとか、ほとんどのことは、悩む時間がもったいないとすら思えてきて気が楽になる。

 

なんでもこの「秘密の日記」は長らく遺稿管理人によって非公開にされており、公開するか否か大論争を巻き起こしたらしい。

性についても赤裸々に書かれてあるのでね…。もしわたしがウィトゲンシュタインで、これは公開しないと決めていたのなら、恥ずかしさで爆発していたかもしれないけど、そこはウィトゲンシュタイン。公開されることを望んでいたかもしれないとも思うけど、真相はすでに闇の中。

 

解説によるとこの本は暗号によって書かれていたそうだが、これは極めて簡単に解読できる暗号だったようだ。

ウィトゲンシュタインはこの暗号を他者の目を避けるためだけではなく、しばしば重要な着想を「急ぎ足のうわべだけの読者がすばやく読んでしまうことから護る」ために用いている。

 

この「秘密の日記」には、第一次世界大戦において、オーストリア=ハンガリー帝国軍の一兵士として東部戦線、ロシアとの戦いの前線に曝されたウィトゲンシュタインの日々が記されている。

高等教育を受けたウィトゲンシュタインは、本来ならもっと上の階級に所属するはずだったそうだが、何かの手違いで下級兵士に置かれた。

下級兵士たちの輪にも入れず、かといって指揮官にも違和感を抱く彼の身の置き場は軍のどこにもなく、けれど彼は表彰を受けるくらい勇敢に戦ったそうだ。

 

すなわち、他の人々に自分をあたえようとするとき、人はいとも簡単に自分自身を失ってしまうのだ。

 

僕が自分自身を護ろうと抵抗するとき、僕は無益に自分をすり減らす。

 

僕は心の中で何度も、自分に向ってトルストイの言葉を繰り返し言い聞かせている。「人間は肉において無力だが、霊を通して自由だ」 

 

一つの問題で行き詰っていると感じるときは、それについてさらに熟考してはならない。さもないと、その問題にずっととらわれたままになる。むしろ、どこかしら快適に座っていられる場所から、〔新たに〕考え始めなければならない。無理強いだけはいけない! 堅固な難問も、全てわれわれの前でおのずから解決するはずだ。

 

臆病な考えからくる、怯えた動揺、不安な物怖じ、女々しい嘆き、これらは惨めな状況を好転させないし、何時を自由にすることもない!

 

「正しく信じる心は全てを理解する」

 

例えば従軍中のウィトゲンシュタインは「恐怖のあまり自分自身を失いそうになる」のだが、「任務をまっとうできるように、自分自身を失わない人間になりたい」旨を何度も書いているのである。また、彼が自分自身を嫌悪していることは、『哲学宗教日記』(後出)にも執拗なまでに書かれている。すなわち、彼は「嫌悪の対象である自分からいかに脱すべきか」という問題と格闘しているのである。

 

「死の近さが僕に生の光をもたらす」とウィトゲンシュタインはいうのだが、彼は「死こそが、生にその意味を与える」(一九一六年五月九日)と考えている。これは「メメント・モリ」(自分が死ぬことを忘れるな)という、西洋キリスト教の伝統に繋がるのかもしれない。マクギネスは、「死のみが人生に意味をあたえる」〔死こそが、生にその意味を与える〕という言葉は少なくとも二つの意味をもつ、という。すなわち、「死を思うことのみが人生を好ましいものにする」ということと、「死に直面することのみが人生において価値がある」ということである。

 

悩んでいる人に特に薦めたい一冊。

Chulpan Khamatova(チュルパン・ハマートヴァ)

チュルパン・ハマートヴァ(カマトヴァ表記もあり)

1975年生まれ。ロシア連邦内、タタールスタン共和国出身の女優。

ロシア・アカデミーで演劇を学ぶ。

「グッバイ・レーニン!」で主人公の恋人、”天使の”ララを演じた。

日本でも有名な出演映画は、ほかに、東京国際映画祭で上映された「ルナ・パパ」。

 

オフィシャルサイト

http://www.khamatova.chat.ru/index.html

 

ネットでみれる映像

「Chulpan Khamatova」の検索結果 - Yahoo!検索(動画)

 

ディアスポラを生きる詩人 金時鐘/細見和之

わたしの祖母は幼い頃、大阪市生野区に住んでいたことがあるそうで、もしかしたらわたしもそう遠くない血筋に朝鮮の方がいるのかもしれないと思ったことがあるけれど、そんなことはないらしい。

 

金時鐘(キム・ジション)」という名はどこで知ったんだったか忘れてしまったけれど、頭にひっかかっていた。

 

第2次世界大戦後、本来ならば日本もドイツと同じように戦争責任を問われ、領土の分割統治という運命に遭っていたのかもしれないけれど、知ってのとおり歴史は、そのように動かなかった。

本来であれば戦争責任を負うはずの日本の領土は分割されることはなく、なぜか、朝鮮半島が2つに分割されてしまった。

いまとなってはまったく驚くことに、その頃のソ連の力は偉大で、アメリカが共産主義に対してかなりの危機感を抱いていたということが、朝鮮半島を分割させるに至ったのだ。

わたしの所属する劇団は戦後すぐにでき、まだ安定するに至っていなかったあの時代に、GHQが脚本の検閲に来たというのだから、まあ、共産主義に対するアメリカの姿勢というのは察するものがある。

その後ドイツは統一を果たし、EUのリーダーとして大きな国力を持つ国になったけれど、朝鮮はいまも2つに分割されたままだ。この違いはなんだろう。

戦争責任のある日本が分割されず朝鮮半島が大国に分割され、いまもその統一が果たされていないという事実だけでも、なんだか申し訳なく思ってしまう。

しかも、済州島では壮絶なアカ狩りが行われ、血で血を洗う民間人の大虐殺が起こってしまった。

 

金時鐘はまさにその済州島に育ち、済州島を闘った人である。

この本は金時鐘という人の生み出した作品とともに、その人を知るためにうってつけの本だった。

 

詩集「地平線」より

 

自分だけの 朝を

おまえは 欲してはならない。

照るところがあれば くもるところがあるものだ。

崩れ去らぬ 地球の廻転をこそ

おまえは 信じていればいい。

陽は おまえの 足下から昇つている。

それが 大きな 弧を描いて

その うらはらの おまえの足下から没してゆくのだ。

行きつけないところに 地平があるのではない。

おまえの立つている その地点が地平だ。

まさに 地平だ。

遠く 影をのばして

輝いた夕日には サヨナラをいわねばならない。

 

ま新しい 夜が待つている。

 

金時鐘が理想とする詩=歌とは、その文字の連なりのままに読み手のなかに忘れがたく刻まれてゆくものである。いわば思考の秩序がそのままに文字の配列と化しているような詩句。あるいは、その詩句の姿のままに刻まれているような思考の展開ー。

 

「在日こそが統一を生きる」

 

「光州詩片」より 「褪せる時のなか」

 

そこにはいつも私がいないのである。

おっても差しつかえないほどに

ぐるりは私をくるんで平静である。

ことはきまって私のいない間の出来事としておこり

私は私であるべき時をやたらとやりすごしてばかりいるのである。

 

金時鐘についてのことは、いまのわたしには読むことが精一杯で自分の言葉で語れることは何もないので、のちのちのために、キーワードだけ残しておきたいと思う。時が来れば、キーワードをもとに調べるだろう。

 

 

今度は、詩集を読んでみたいと思う。

東京千夜/石井光太

石井光太さんの本は、表題のほか、「レンタルチャイルドー神に弄ばれる貧しき子供たち」を以前に読んだ。

 

で、今回、「東京千夜」を読んだわけだけど、たしかに、読み物としてはおもしろい。

ただしそれは、取材して書いたというノンフィクションの体裁でなく、小説として読んだ場合の話だ。

 

なんとなく読んでいると、端々に、著者の傲慢さがわたしには感じられてしまう。

 

特に、若くして結婚もせずに亡くなったこどもが死後の世界で結婚できるよう祈るためにつくられた「ムカサリ絵馬」のエピソードでの著者の邪推が不快。

たいていは若くして亡くなった人のためのムカサリ絵馬で、享年40〜50代の人がぽつぽつといることをみつけた著者は、

 私はもう一度絵馬に目を向けた。花嫁は二十歳ぐらいなのに、花婿は五十を過ぎている。どことなく不自然な絵を見ているうちに、ふと、この男性は同性愛者だったのではないかという想像が浮かび上がった。

なんだこの勝手な想像は。

特に東北の保守的な農村では、自分の性的指向を隠したまま、親に勘当されてでも独身を貫いた者もいただろう。そういう男性が死んだ時、年老いた親が何も知らぬまま、せめてあの世で結婚させてあげたいと思ってムカサリ絵馬をつくったこともあるのではないか。

私は複雑な気持ちで絵を見た。もしこの男性が同性愛者だったとしたら、死後婚をさせられたことをどう思っているのだろうか。

 余計なお世話すぎる……

 

ほかのエピソードも、雑誌の取材という体などで取材したことをもとに書かれているんだけど、なぜか最後、センチメンタルな感じで文章を結ぶのがわたしにはわからない。

この人は取材して、文章を書いて、さてどうしたいんだろうというのがまったく伝わらない。

取材したという体で書かれた小説だというならわかる。

雑誌記者特有の軽薄さ、みたいなものを感じる。

 

でも、いまこうしてブログを書いていて整理された。

石井光太さんは、あくまで小説やノンフィクションのライターであって、ジャーナリストではないんだということだ。

僕たちの好きだった革命/鴻上尚史

鴻上尚史といえば、いまも伝説のように残る「朝日のような夕日をつれて」という舞台作品をまず想起する。

わたしは2014年に上演された「朝日のような夕日をつれて[21世紀版]」をみることができた。舞台は、すごかった…、いったいどういう内容だったかとんと思い出せないのだけど、異様な熱を放つすごい舞台だった、ということだけははっきり覚えている。

チケットは直前に買ったか当日券を買ったので、ピロティーホールの最後列だったんだけど、それでも、舞台の熱はわたしの座る客席まで届いていた。

なんかすごいものをみた、という思い出だけが残っている。もう一度みたいのだけど、なかなかやらないだろうなあ…。

 

この小説は、学生運動が最後の盛り上がりをみせた1969年当時高校生だった「山崎」が、デモのさなかに機動隊の暴力に倒れ、実に30年間も昏睡状態に陥った後、1999年にふたたび目を覚まし、失われた高校生活を取り戻すというファンタジーな設定がなされている。

「山崎」は固有名だけどそうではなく、もはや歴史となってしまった学生運動の担い手たちの亡霊のような存在だ。

ファンタジーといったのは、だって、30年間も現実を不在にしていた人間が、こんなに短期間で現実に復帰できるとは到底思えないからだ。

学生運動に参加したことのある年代の人にとっては、一種、ノスタルジーを感じる設定になっていると思うし、若い人には受け入れられにくい話なんじゃないかと思う。

 

学生自治を求めることがあたりまえだった当時とは違う現在の学校の管理教育に疑問を持った山崎は、当時と同じく学生主体による文化祭の開催を求めて、現代の高校生の仲間たちと紛争するのだけど、アジビラや集会をしようという「山崎」の行動は現代の高校生にとってはまったく不可解で、なかなかついていけない。

それでも行動をともにし会話をする中で少しずつ通じ合い、学生主体による自主文化祭開催当日の闘争は爽快だ。

 

「山崎」は、逃げた仲間を裏切りだと言う高校生に対し、

「裏切ったんじゃないよ。負けただけだよ」「だから、」「何度負けてもいいんだよ。最後に勝てばいいんだから」「……だけど」「大切なクラスメイトじゃないか」

 と言う。

どうしてそんなにがんばれるのかという問いには、

「この国の未来、自分たちの未来、高校生の未来、未来(みく)ちゃんの未来、僕の未来。きっといい未来になるって僕は信じてる。だから、がんばれるんだよ」
「勝ち取るんだよ」「人間は、試行錯誤を続けながら、きっと進歩するんだ」

と答える。

あの頃の誰もが、そう思っていたと思う。学生運動の暴力が加速し、連合赤軍によるあさま山荘銃撃戦以降に明らかになった彼らのリンチによる仲間の殺人、血で血を洗い、無関係の人まで手にかけた内ゲバ、無差別テロ事件。そんな負の側面ばかりクローズアップされる学生運動だけど、ほんとうは、はじめは、純粋なものだったはずだ。

ただ、いまよりもよい未来を目指していた。いまよりもよい未来をつくろうと希望に満ちていた。

アニメ「エウレカセブン」で語られる、「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」という言葉を思い出した。

この言葉の元ネタは新約聖書マタイ伝に記述された「求めよ、さらば与えられん 探せよ、さらば見つからん 叩けよ、さらば開かれん」という言葉だ。

自ら求めず、先生の指示に従う。そんな現代の学校教育の在り方に、甦った亡霊としての「山崎」ははっきりとNOを突きつけるのだ。そして現代の高校生たちを鼓舞する。

 

この小説で、ひとつ、未来を予言していたな、と思うエピソードがある。

現代の高校生たちが文化祭に呼びたいと提案し、先生に否定された「タイト・キック」というラップ歌手が重要な役回りを果たすのだけど、この「タイト・キック」のアジテーションがSEALDs(http://www.sealds.com)のアジテーションを思わせるものになっている。

「拓明高校の誇りとなるような文化祭を実現しようではないか!」「That's right! Oh Yes! そのとーり!」タイト・キックは、拳を突き上げた。二人は、完全に呼吸をつかんだ。ラップとアジ演説があわさって不思議なグルーブが生まれた。それは人々を煽り、動かし、刺激し、思いを届ける、新しい言葉のスタイルだった。アジ演説とラップが出会って、アジ演説でもラップでもないものが生まれた。いや、それは、本当のアジ演説や本当のラップなのかもしれない。

この小説って、最近出されたものだっけと思わず出版年を確認してしまった。初版発行は平成20年。SEALDs登場よりも前だ。

スマホを片手に、ラップを背景に自分の思いや主張を語るSEALDsのスタイルはこれまでのアジのイメージを変えたし、度肝を抜かれた人も多いと思う。

そのスタイルに酷似したアジが、ここにこうやって書かれているなんて。

 

30年も眠り続けた「山崎」とは対照的に、1969年から断絶を経ずに生きてきた人物も登場する。

かつて山崎の同士であり先輩であった「兵藤」は、現在では高校の教頭として生徒を管理する立場にまわっている。

山崎の同士であり憧れの人だった「橋本文香」は、高校生の母親となっている。

山崎が昏睡するきっかけをつくった機動隊の「大門」はいまも機動隊に所属し、かつての学生との闘いをいまも望んでいる。

誰もが、あの時代の呪縛から逃れられずにいる。

 

「兵藤」と「橋本文香」の場合はもっと切実で、あの高校生時代の闘争を経て大学に進学した2人は、そこで、凄惨な内ゲバを経験することになるのだ。

「あの時、兵藤さんのせいで、みんな人生を誤ったと思ってるんですか?」「兵藤さんは言われたことあるんですか? 誰かから、お前のせいだって言われたこと、あるんですか?」「あの時、みんな、兵藤さんの演説に感動して主体的に自分の判断で参加したんです。兵藤さんを責めた奴なんかいなかったでしょう」

と問う山崎に、兵藤はこう答える。

「……いたよ」「俺だ。俺が俺を責めたよ」

かつて拓明高校全共闘の中心的存在だった兵藤は大学入学後、学生運動とは距離を置いた。一方の橋本文香は全共闘にますますのめり込み、恋人を内ゲバで殺されたのだ。

そしてその文香の恋人を殺した人物もまた、かつて拓明高校全共闘として一緒に闘った仲間だったのだ。入学した大学、学部、サークル。その違いは党派の分かれ目となり、かつての仲間を敵と認識し、殺すには十分な違いだった。

 

物語の終了間際、開催を決行した自主文化祭をつぶされてたまるかと、高校生は学校に常備されているアルコールランプと硫酸を手に取る。

これでなんとかなるという高校生に対し、山崎はこう言うのだ。

「だめだ!」「えっ?」「そんなもの使っちゃだめなんだ 」「だって、みんな、」「だめだ。俺たちは、正しく戦って、正しく負けないといけないんだ」「正しく負ける?」「そしたら、きっと勝つ」

かつての学生運動が過ちとされたのは、これに尽きると思った。

加速する権力との闘った彼らは、正しく戦って、正しく負けることができなかった。

「正しく負ける」とは、なんとむずかしいことだろう。

でも、これもわかる。この小説で山崎や高校生たちが闘っている相手は、高校の教師であったり理事長、少しの機動隊であるが、学生運動を担った彼らが闘っていたのは日本政府だ。

正しく戦って正しく負けるなんていう道は用意されていなかった。正しく負けるということはすなわち、歴史に消えていくということだ。だってもう1969年頃には学生運動に共感する市民はわずかになっていたのだ。

そこで彼らが正しく戦って正しく負けようと、大部分には知られることもなかっただろう。

それは、正しく戦ったSEALDsをはじめとする現代の市民の活動が、すでに下火になってしまったことと似ている。

でも、だからこそわたしたちは、正しく戦って正しく負ける、そのことを続けるしかないのだと思う。

ひとりが倒れても、誰かがまた「正しく戦って正しく負ける」その繰り返しを続けるしかない。

市民社会はまだその戦法をとったことがないのだ。

 

この自主文化祭を巡る攻防が終わったのち、「山崎」は亡くなった。

多分、亡くなるしかなかった。亡霊としての「山崎」を亡くならせることでしか、この物語を終わらせることはできなかった。そう思う。

 

学生運動が持つのは、負の側面だけではなかった。

さようなら、僕たちの好きだった革命…、でも、きっと、それを担う人はまたどこかから出てくる。

それは社会が健全さを保つためには必要不可欠なものだから。

2017年。わたしはいまこのときも、革命を信じている。

ポスターを貼って生きてきた。就職もせず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きていく論/笹目浩之

「ポスターハリスギャラリー」は知っていたけれど、まさかポスターハリス・カンパニーが演劇のポスターを貼ることを生業にする会社とは知らなかった。

以前、東京へ演劇をみにいったときにちょうどポスターハリス・ギャラリーで寺山修司に関するポスター展がやっていたので、足を踏み入れたことがある。

たしか、ー寺山修司生誕80年記念ー 宇野亞喜良×寺山修司 演劇ART WORKS原画展1998〜2015tだったと思う。

そこで寺山修司の詩が入ったガチャガチャとか、ディスクユニオンから発売されている宇野亞喜良さんのイラストのトートバッグとか、ピンバッチを買って嬉々とした記憶がある。

たしか、ポスターハリス・ギャラリーは渋谷のかなり奥まったところにあって、たどり着くまでにあたりをぐるぐるとさまよったような記憶もよみがえる。

 

この本の著者である笹目浩之さんは、そんなポスターハリス・カンパニーの代表取締役であり、三沢市寺山修司記念館副館長でもある。

演劇を中心とした仕事をされている人だ。

まさか、「ポスターを貼る」ということが仕事になるほど収入のあるものだとは思わなかった。だってポスターなんて、わたしだっていつも貼りにいってるもの…。肩身を狭くしながら…。

この本にはその具体的なことは書かれていないけれど、笹目さんがどのような仕事をしてきたかについては具体的に書かれていて、かなりおもしろかった。

あと、アップリンクの社長の浅井隆さんが元天井桟敷のメンバーとは知らなかった!

当時のアングラブームは、本当にいろんな人を生み出したんだなあ。

わたしは、寺山修司の生きていた頃に生まれていなくて、とっても残念だ。

 

野田秀樹さんがかつて率いていた劇団「夢の遊眠社」についても記載がある。

なんでも、特典つきのポスターを出したらしい。しかもその特典というのがTシャツで、ポスター貼りへ出かけるのにTシャツがかなりかさばって大変だったとある。

特典としてのTシャツは好評だったみたいだが、その次の特典には持ち運びやすいものということでテレホンカードになったようだ。

ポスター一枚に500円のテレホンカードだから、破格の特典だ。

 

長年、演劇のポスターと関わりのあった人だけに、思っていることもある。

いまではポスターを作ることにはたいした費用はかからないという、ポスターを作る側、作るお金を出す側にとっては嬉しい時代になったけれど、ポスターは減った。

笹目さんは、そんな現状に対し、

 90年代に入って劇団とは名ばかりのプロデュース形態が増え、演劇に経済の論理が持ち込まれた影響だ。

と言う。 ポスターよりもフライヤーを多く配布した方が効果的だと考える人が増えた、と。

安く作れるようになったといってもそれなりに経費のかかるポスターより、チラシで実を取ったほうがいい。こうした考え方が出てきた時に、演劇から遊び心や実験的な精神、大きなものに挑もうという気持ち、演劇人としての挟持といった、大切なもののいくばくかが抜け落ちたような気がする。

やがて、写真やデザインから印刷にいたるまで、すべてがデジタル化した時代に入ると、公演告知にはチラシとインターネットのHPさえあれば十分だという考え方まで生まれてきた。それが行き着いたところが「チラシの束」だとすれば、そろそろ何かを考えなければならない時期が来ているような気がする。 

わたし自身、フライヤーを消費され捨てられるだけの無駄な資源と思っていないこともなかったので、反省した。

笹目さんは、アングラ時代のポスターは劇団の旗印役だったというのだ。

それはあの60〜70年代の闘争の時代の、アジテーションなんだ。

90年代を代表する人気劇団「大人計画」(88年結成)がポスターを作らなかったことも、それ以降の若い演劇人たちの考え方に影響を与えていたのかもしれない。

と、笹目さんは言う。多分、当たらずとも遠からずだと思う。

 

文字を大きくすれば目に入りやすいわけではない。かわいらしい写真やイラストがあれば、それでいいというわけでもない。ここから先は、作り手たちが一緒にものを考えたり遊んだりしながら、イメージを組み立てていくしかない。人と人との結びつきや関係性の中から出てくる余情や信頼関係が、演劇ポスターに一滴の付加価値をつけるのだ。そのことによって街の風景が変わり人の心が動くならば、それほど素晴らしいことはない。 

ポスターだけでなく、フライヤーをはじめとした宣伝美術全般に言えることだと思う。

個人的には、情報はもちろん欲しいけれど、それは劇団や作品のサイトなりでみるから、それよりも、フライヤー単体として素敵だと思えるフライヤーを手に取りたくなる。

実際にアングラ演劇全盛の時代、ポスターは実益を無視し、公演の事前予告という役割からも自立し、劇団のイメージとデザイナー自身の個性とをアピールする、強烈な旗印になっていたそうだ。

だって、横尾忠則さんや宇野亞喜良さんがデザイナーだもんねえ。芸術だ。

なんと、横尾忠則さんが手がけた状況劇場「ジョン・シルバー 新宿恋しや夜鳴篇」と、天井桟敷青森県のせむし男」(ともに67年)のポスターは、公演当日に納品されたらしい。

しかも「ジョン・シルバー」のポスターの片隅には、「唐十郎さんデザインが遅れたことをお許しください。横尾忠則」と描かれていたらしい。

 

いま、わたしがフライヤーを楽しみにしているのはマームとジプシーくらいかなあと思う。範宙遊泳も素敵だけど、DMは届かないから。

マームはすごくて、これ、どんだけ金かかってんの?ってデザインのフライヤーを毎回作ってる。封筒すら毎回デザインが違う。

アングラのような感じではなくもっと洗練されて現代風でこのこだわりっぷりはすごい。それだけで、これだけ人気が出たという理由がわかる。まちがいない。

 

そもそも、虚構の世界への窓口ともなるポスターが、ふだん利用するようなレストランや食堂やカフェなど、人目につきやすい場所に貼られている街というのは、ちょっと素敵ではないだろうか。

 

 演劇ポスターというのは、今も昔も変わることなく、虚構の世界を自在に表現することができる、グラフィックデザインの分野でも一種独特の媒体である。デザイナーにとっては、演劇作りの一端にかかわりながら、自らの個性を表現することができるまたとない舞台でもある。また、演劇人の側から見れば、デザイナーにイメージを伝え、ともに試行錯誤することで、舞台のコンセプトを再度整理したり磨きをかけるいいチャンスになる。

 そしてもっと大切なことは、いいポスターを作っておけば、その公演から何十年経ってからも、ポスターによって作品の雰囲気や時代性を再確認することができるのだ。舞台を目撃した人の記憶の中にしか残らない演劇が、ポスターがあることによって、その何十分の一くらいのエネルギーだけは、半永久的に残すことができるのだ。

 「ポスターには芸術表現の可能性を試せる無限のチャンスがあった。僕たちは街行く人が足を止めてくれるよう、出来る限りのことをすべて行って、1枚のポスターを完成させた」

 これは、1971年のロシア革命をはさんでロシアの民衆に広まった前衛芸術=ロシア・アヴァンギャルドの時代を支えたアーティスト、ウラジミール・ステンベルクの言葉だ。1枚のポスターが社会を変え、人々の気持ちを変える。革命を起こすことさえできる。少なくとも演劇人やその周囲にいるデザイナーにだけは、そんな可能性を信じ続けてほしいと願っている。

 演劇よ死ぬな。ぼくはポスターを貼り続ける……。

 

最後に、心に残しておきたい強烈に共感する言葉を引いて終わりたい。

笹目さんが特に気に入っているポスター、平野甲賀さんのデザインによる黒色テントの「ブランキ殺し 上海の春」には、こんなコピーが書かれているらしい。

演劇よ死ぬな!! われわれはお前が必要だ

 

余談だけど、わたしは、黒テントのメンバーであり、現在、座・高円寺の芸術監督をしている佐藤信さんの娘で映画ライターとして活躍されている方と同姓同名で、佐藤信さんと名刺交換したときに驚かれたことがある…。

あらためて、"One Love Manchester"について

2017年5月22日。

イギリスのマンチェスターで行われたアリアナ・グランデによるライブでテロ事件が発生。犯人を含む23名が亡くなり、120名以上の負傷者を出す惨事となった。

テロが起こったのはライブも終わり、観客が帰りはじめた頃だった。

アリアナ・グランデのライブには多くのティーンが参加しており、迎えにきた保護者も被害に巻き込まれることになる。

英マンチェスター爆発、死者22人に 自爆攻撃と警察 - BBCニュース

【マンチェスター攻撃】犠牲になった人たち 8歳少女や非番警官 - BBCニュース

 

テロが起こったあとのアリアナのツイートが、悲痛だ。

このテロが起こったのは決してアリアナのせいではないけれど、自分のライブがテロの攻撃に遭い、こどもも含めた自分のファンが殺され傷つけられたというのは、とても重い責任を感じることだと思う。

アリアナは後日開催される追悼コンサートの前に、負傷したこどもたちを見舞ったという。

 

わたしはちょうどこのとき、児童・青少年演劇の世界的なフェスティバル"CRADLE OF CREATIVITY(http://www.assitej2017.org.za)"に参加すべく南アフリカケープタウンに滞在しており、BBCのニュースでこの事件を知った。

日本にいるときよりもイギリスが身近に感じたし、テロ事件の怖さが身に沁みた。

 

その後、日本に帰国してすぐ、かねてより患っていた精神的な病により仕事を休職したわたしはほぼ寝てばかりの生活を送っていたのだけど、このマンチェスターのテロ事件を追悼する"One Love Manchester"がYoutubeで中継されると聞いて、リアルタイムで視聴した。

アリアナ・グランデマイリー・サイラスジャスティン・ビーバーも、出演するゲストはほとんど知らなかったけれど、時折映し出される観客の熱に押され、楽しくみることができた。

ていうか、曲を知っているのは元オアシスのリアム・ギャラガーとcold play、ケイティ・ペリーくらいだった。

観客の多くが、"FOR OUR ANGELS"=天使たちのためにと書かれたボードを手にしていた。

 

各アーティストごとの動画はBBC MusicがYoutubeにあげている。

当日にリアルタイムで中継されたすべての通し映像はこちら。

www.youtube.com

 

セットリストはこちら。

<One Love Manchester>出演アーティストとセットリスト | V.A.(洋楽) | BARKS音楽ニュース

 

リアルタイムでみながら泣きまくったし、何度もみたいまも、泣いてる。

音楽、すごいなあ…と思ったし嫉妬もしてる。

映画だって、911が起こったあとにすぐ、世界中の映画監督によるオムニバス「セプテンバー11」を制作している。

演劇ではちょっとこういう例は知らないなあ。わたしが知らないだけかもしれないので、あったら教えてほしい。

5月22日にテロが起こり、6月4日にこの追悼コンサートを行ったというそのすばやさはもちろん、こうやってすぐに、これだけのアーティストが集まったんだ。これは本当にすごいことだ。

しかもこのコンサート前日、今度はロンドン市街地で通行人を狙ったテロ事件が発生し、8名が亡くなっている。

日本だってアメリカの世界的な軍事戦略に加担しているし、わたしにすらその責任の一端はあるのだろうと思う。

この時代にテロに無関係な人なんて、ほとんどいないと思う。

だけどそれでも、殺されていい理由はない。

もちろんテロの犯人だって、人を殺す権利なんてないし、殺されていい理由なんて本当はないはずなんだ。別の方法で訴えることだって、できたはずなんだ。

でも、こういう手段でしか表現できないところまで追いつめられているんだと、やっぱりそう思う。

 

どのアーティストのアーティストもすばらしかったけれど、わたしが特に感動した者をここに残したいと思う。

 

マンチェスターゆかりのアーティストたち。

 

Take That /Shine

www.youtube.com

 

Liam Gallagher /Rock 'n' Roll Star

One Love Manchester終盤、マンチェスター出身のスーパースター、元オアシスのリアム・ギャラガーが登場。

観客の盛り上がりっぷりが頂点に達した。リアムは何も語らず、いきなりこの曲を歌いはじめた。

この曲をまず持ってくるとはさすがだと思う。

歌い終わり、リアムはいつものように「ファッキン」という。それがいい。ほんとにくそったれな世の中だ。

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Liam Gallagher and Coldplay /Live Forever

※度々ディスってきたColdplayと 共演。リアムは、この共演でColdplayに対する考えをあらためたらしい…。

あんたの庭のことなんか知らないし、たぶん俺たちは何者にもなれず夢は夢のまま。だけど、それでも永遠に生きていくんだというこの曲の歌詞が痛切に響いた。

www.youtube.com

 

このほか、新曲の"Wall of Glass"も披露。この曲もよかった。

 

Coldplay /Don't Look Back in Anger

オアシスの名曲を、クリス・マーティンが熱唱した。

この曲は、テロ事件後にマンチェスターで行われた追悼式の群衆のひとりが歌い出したことで、その場に居合わせた人の大合唱となった。

怒りに変えてはいけないという思いを共有している。

この曲を歌ったことについて、この追悼コンサートにスケジュールの都合上参加できなかった元オアシスのノエル・ギャラガーに「貸してもらった」と語っている。

追悼コンサートに参加しなかったノエルについてディスっているリアムはいつものことなので気にしないとして、ノエルは、追悼式でこの曲が歌われてすぐ、この曲のロイヤリティを寄付したらしい。

www.youtube.com

 

Pharrell Williams and Miley Cyrus /Happy

世界的に大ヒットしたファレル・ウィリアムスの曲を、本人とマイリー・サイラスが熱唱。

こういう場で、こういう歌をうたうのはすばらしいと思う。

2人とも本当に楽しそうに歌っている。

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Katy Perry /Roar

ケイティ・ペリーは自らの代表曲を歌った。

It’s not easy to always choose love, is it? Especially in moments like these. It can be the most difficult thing to do. But love conquers fear and love conquers hate. And that love that you choose will give you strength.

「愛を選ぶのは簡単ではない、でも、愛は恐怖に打ち勝つことができる。あなたが選んだ愛はあなたに力を与える」と言うケイティのスピーチはすばらしかった。

となりの人に触れて、愛してるって伝えようというケイティの言葉に、観客がわき上がった。

この曲の前に歌った"Part of Me"ももちろんすばらしかったけれど、以前は内気で我慢していた人があたしこそが王者だ、わたしの吠える声を聞かせてあげるというこの力強い歌は、いまこそ必要だと思った。

このステージのケイティは本当にかっこよかった。

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こちらはコンサート当日、バックステージでのケイティ。

リハの様子やほかのアーティストとのコンタクトがレア。

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Black Eyed Peas and Ariana Grande /Where Is The Love?

911、そしてその後のアメリカによる対テロ戦争に対して問題提起した曲で、まさにいま聞きたいと思う曲だった。

それは、2011年にアメリカで911が起き、そして2017年のいまもそれらを発端とした争いが収束していないということでもある。

この曲は、自分をコントロールし、考えろと言っていろと言っている。

「人々は殺し合い、死んでいく。こどもたちが傷つき、その鳴き声が聞こえる。

(片方の頬を打たれたら)もう片方を出せる?

神よ、わたしたちを救ってください。導きを送ってください。

いったいどこに愛があるのだと」

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Ariana Grande /One Last Time

コンサートに参加したアーティストがステージに並ぶ中、熱唱された。

本来ならば違うイメージを持つ歌詞なんだろうけれど、いまは、テロで亡くなっていった人に向けた歌かのように聞こえる。

One more time

最後にもう一度

I need to be the one who takes you home

君を連れて帰りたいの

まるで、亡くなった人たちをもう一度彼らの家に連れて帰りたい、と言っているようなんだ。

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ここにはあげなかったけれど、ジャスティン・ビーバーの純粋な感じに打たれた…。もっと、鼻持ちならない感じかと思っていた。

 

このコンサートだけでおよそ200万ポンド(約2億8000万円)もの売り上げがあり、そのすべてが寄付されるそうだ。

アリアナはこのあと、マンチェスター市初の名誉市民に選ばれた。

短期間に立て続けにテロが起き、さらなるテロの危険性をはらんでいたイギリスでこの見事なコンサートを成功させ、会場に足を運べない人にもリアルタイムでその模様を提供した彼らを心から尊敬する。

この状況の中でステージに立つ恐怖は、あったと思う。

 

最後に。

このコンサートでアーティストたちがスピーチした言葉のまとめを。

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必要なのはテロに勝つ、なんていう勇ましい言葉ではなく、まずは自分の隣人を愛し、敬うことだ。

わたしたちは身近な人たちと手を取り合って、そして、生きていくんだ。

人を傷つける行為を断固として拒否する力が、いま必要なんだ。

教育者・今村昌平/今村昌平・著 佐藤忠男・編著

これは、カンヌ国際映画祭のグランプリを2度受賞した日本人唯一の映画監督であり、映画を志す若者の集う学校をつくり、教育者でもあった今村昌平監督の本だ。

この人のつくった学校を出たわたしは映画関係の仕事には就かなかったけれど(しかもわたしが入学する前に今村昌平監督は亡くなっているので一度もお会いしたことはない)、いま、演劇という生業を得てなぜか人材育成に惹かれているのはもしかして今村監督のスピリッツの影響をたぶんに受けているのかもしれない、なんて思ったりする。

 

日本映画学校理念>

日本映画学校は、人間の尊厳、公平、自由と個性を尊重する。

個々の人間に相対し、人間とはかくも汚濁にまみれているものか、

人間とはかくもピュアなるものか、何とうさんくさいものか、何と助平なものが、

何と優しいものか、何と弱々しいものか、人間とは何と滑稽なものかを真剣に問い、

総じて人間とは何と面白いものかを知って欲しい。

そしてこれを問う己は一体何なのかと反問して欲しい。

個々の人間観察をなし遂げる為にこの学校はある。

 

高校3年生だった当時、学校案内のパンフレットだかホームページだかでこの文章を読んだわたしは、何とかっこいい文章なのかと感銘を受けた。

関西に住んでいるので大阪芸術大学や、立命館大学の映像学科(こちらは講師に山田洋次監督がいる)でもよかったけれど、ほかの学校は眼中にないくらいこの学校しかないと思っていた。

 

この本の編著に名を連ねる佐藤忠男さんは映画批評家(というのか)で、長くこの学校に関わり、校長としての任にも就いてきた。

この人の批評には、映画への愛があり、映画をつくる人への尊重がある。それは生徒のつくったものに対しても変わらないし、けなすだけの批評はしない。本当にすばらしい映画批評家だと思う。

 

私が今村昌平さんと知り合ったのは一九五八年である。彼の監督第三作の「果てしなき欲望」を見て、この野放図な新人こそは次の時代の日本映画を背負う大物だと確信して映画雑誌の編集者としてインタビューに行ったのである。増村保造大島渚が相次いでデビューした時期であり、私は彼らの新しさを力説することで自分も新進の映画批評家としての立場を固めた。一九六〇年前後はめくるめくような”われらの時代だった。”

以前に読んだ大島渚の本で何度も名前が出ていたのは、こういうことなんだ。

映画監督と映画批評家、立場は違えど、映画を愛する同士なんだろうなあ。

 

話は、現・日本映画大学の前身、日本映画学校のそのまた前身、つまりこの学校の礎である横浜放送映画専門学院の開校前夜からはじまる。

この頃はまだ演劇科があったようで、その講師陣の顔ぶれがすごい。

演劇科の講師であった沼田幸二さんがこう書いている。

私たち演劇科のスタッフは、今村昌平学院長から招集を受けて、代々木上原の今村宅に集まった。演劇科のレギュラー講師陣、初めての顔合わせであった。小沢昭一、岩村久雄、関矢幸雄、岡田和夫と私。

関矢さんが横浜の講師だったとは知らなかったなあ…。

今村昌平のブレーンだった小沢昭一が、関矢さんを今村さんに紹介したらしく、演劇科の中での担当は「肉体表現」。

のちに講師となる藤田傳さんがこのメンバーに入っていないのは、このときにかぎり今村昌平と仲違いしていたかららしい…。

 

この学校の伝説の農業体験のことも詳しく書いている。

わたしもこれ、体験したかったのだけど入学したときにはすでにやっていなかった。代わりに「人間研究」という授業に変わっていた。これはこれでおもしろかったけれど。

 

農業体験初日、各農家へ学生を振り分ける際に、

「強そう!」とか「めんこい!」とか、一人ひとり学生の感想を声にして言うオッサンがいた。

とある。いいなあ、こういうの。

 

この思いつきのようにはじまった農業体験の経緯、それこそ受け入れ農家探しから…について、今村監督はこう書いている。

農村に向う学生たちへ——(抜粋)

——今、日本で百姓をやることはワリが合わない。

——今、日本で映画監督をやることもワリが合わない。

映画監督も百姓も、ゼロからものを創り出すのは同じで”もの創り”は今や全くワリがワルイのである。ワリのワルイことをやりたい諸君に、ワリのワルイ百姓を是非やってみて欲しいと思うのだ。

そして自分たちが将来、どんなにワリのワルイことをやっていくのかを通説に知ってもらいたい。

                        今村昌平

演劇も全くそうだ。ああほんと、ほんとに、ほんとーにワリに合わない。でもたぶん、ワリに合うことならわたしは辞めている。

そもそも、どうせ死ぬっていうのに生きていること自体がワリに合わないもの。

 

横浜の二期生の入学式のあいさつで、今村監督は「創造の道」についてこう語りかけている。

 映画、テレビ、演劇など、自分以外に頼るものがない世界に身を投じようという気力をもちあわせた若い創り手たちには、敬意を表したい。

 だが、敬意を表すると同時に、緊張を強いたくもなる。なぜなら、創造の道というものは、大変困難な道であるからです。創造する喜びなんて言葉は、大変美しいが、それには、肌身を突き刺すような痛みや苦しみが伴うので、そうそう気楽に喜びなんていえるようなものじゃない。

   <中略>

 では、売れやすいものを創ればいいかというと、そうでもない。自分の主張を曲げてまで、売れやすいものを創るくらいなら、初めから創らない方がいい。食うためにのみ創るのだったら、女をつくって、ヒモになった方がましである。

 何を創り出して、その結果がどういう意味をもつかということは、創り手の側に責任があります。

ここまで言ってくれる「先生」、ふつういるだろうか。

同じ創り手(として生きるであろう)生徒を対等にみてくれている気がする。

こうも言っている。

 いまの大部分の若者たちは、既成のレールの上を、安穏と気楽に走っていこうと思っている。しかし、この、安穏や気楽は、私たち創り手から見れば、飼い犬のそれでしかない。

 既成のレールを拒否し、もの創りに邁進する者は、これはじつは野良犬へのコースなのです。もちろん、私も野良犬だから、おとなしい、いうことをきく飼い犬に出会いたいという気は毛頭ない。私は常に、将来、狼になるような野良犬に出会いたいと思っている。できれば、考える狼に。

 だから、意地と強さを身につけ、考える狼としての誇りを捨てないための暮らしぶりをするべきである。

 教育といえども、もの創りである以上、人格と人格のぶつかり合いである。教育の場は、自由な個人の集まりです。私は、この学院が、失われた人間関係を再会していく、つまり、未来にとっての広場の意味をもつことを希望している。

 

日本映画学校の二期生にはこう語る。

 映画を観ることが好きだということと、己を創る側に投入することとはまるで違う。そこは常識の支配する世界ではない。

 我々は既設のレールなど物ともしない、勇気ある若者を求める。彼らは少々「非常識」かもしれない。しかし「常識」が何ほど、新しい文化の創造に寄与し得たか。

 君に才能があるかないか、そんなことは我々にだって分かりはしない。

 レールのない曠野を望む時、君は不安に震えるだろう。その不安を克服する時、いや少なくとも克服すべく、走り出した時——すべての判断は、その時なされるだろう。

 勇気がいる、たしかに勇気がいる。

 

「豚と軍艦」という映画の撮影のために、横須賀へ調査に行った話も楽しい。

その時に、恐ろしい向こう傷をもって、久里浜かどこかで妾宅を改造して住んでいる、ピストル密造が生業の、ケンちゃんという男がいた。この男と極めて仲良しになりまして、この男といろいろ話をしている中で——彼は自分たちのことを「遊び人」と称しておりましたが——「真面目に働いていたって、非常に苦しい世の中である。まして、我々、遊んで暮らしている者のつらさったらいいようがない」なんていうんですね(笑)。

だから、調査というものは 非常に大事であるからして、劇映画のリアリティを求めるというものからドキュメンタリーへの指向は目ざめていたわけで、自然に、その製作へ移行していったわけです。

調査というものは、格好よくいえば、真実に肉薄しようということだといえる。ただし、私は、調査は「表層」だけを追うものであってはいけないと思う。「表層」ではなく、「基層」世界を調査する。そこに着眼すると、底にある真実に多少触れることができるのかもしれない。私のドキュメンタリーへの指向はそこにあるといっても過言ではないと思います。

ここで、真実に「多少」触れることができるのかもしれないと言っていることがいいと思う。今村監督ほどの調査をもってしても、触れることができる真実というのは、「多少」なんだ。

 

「文化」について

 それは、何も映画に関してだけではなく、日本の文化一般に対して言えるわけです。確かに、日本には、歌舞伎があり、能がある。しかし、それは、徳川三百年という鎖国の状況の中で、特に日本は大陸の端にくっ付いている小島であるからして、文化の流通というものに乏しいわけですね。しかも、太平洋という大きな溝がある。だから、日本では、文化というものが、重層的に折り重なって、東から西に流れていかない。常に西から来る。それでいて、東に流れていかない。これは、世界の文化の流れから見て変なことだと思う。鎖国という中で、文化の流入はあるけど、流出はしない。そういったことは、世界に例がないわけですね。

 そういった中で、文化というものはどうなっていくかというと、一つの退廃をしたと思います。私は、歌舞伎を観る時に、特にそう思う。あれは、退廃の美しさだと思う。歴史がだんだん重なって、底の方から堆肥の臭いがしてきて、ほろあったかくなるなんていうような退廃の中にある美しさというものが、歌舞伎の美しさだとも考えられます。それは、確かに日本的であるには違いないんだけど、三百年の鎖国というかなり奇怪な、面妖な歴史的な時間の中で特に現れた形だと見られる。

 何をもって生きるかわからず、そういったポリシーなしに、戦後何十年、馬車馬のように働いた中年者たちがそこにいるだけですね。「そんなに働いてどうするのか?」と問いつめていくと、詰まって返事もできないというおとっつぁんたちが、山のようにいるわけです。

 もちろん、彼らを責めることはできません。だけども、ものを創るものは、「何のために生きるか」といったようなポリシーを、発見していかなければならないんだと思う。その一つの方法として、僕は日本民族の伝統的な社会の中に、まだ残像として残っている心というものを、創造の、一つのよすがにしたいと考えるわけです。

本来、”創造すること”を他者から学ぶことはできない。創造は終に個人的なものであり、ほんの少しの手助けをも拒否するものだから。だが、”創造する態度”を学ぶことはできるし、また、創造するための基本的教養を身につけることはできる。

 従って、我々の通念にあるところの経済行動というものは、私は、お金のことを考えなければいけないプロデュース部分とディレクターの部分を持っていたのだが、ディレクターの部分は、はるかにプロデュース部分よりも強く、経済観念をなぎ倒したわけですね。

 そういったことは、滑稽な、非常識な部分ではありますが、非常識しかモノを創ることはできないのであります。だから、非常識はそうとういいのである。常識はよくないのであります。そこに僕らは、立脚しなきゃならない。

 

わたしはたったひとりだけ、この学校を卒業して同じ業界で働いている先輩を知っているけれど、「風の子」という劇団に入った方もいるそうだ。

横浜時代の学生だからいまけっこうな年になっていると思うし、まだ在籍しているかわからないけれど…。

 

最後に、今村監督の息子で映画監督の天願さん、かわいそう…と思った一文を引いて終わる。

でも、そういうことは、なんでもないんですね。私の日常生活に一向差し支えがない。ただ、私が死んだ時にその借金が私の子供にいって、子供は私と同じ運命をたどるというだけでありましてね。たいしたことではないんですね。 

 

……いろんな意味で怪物な人だ。

なぜ日本は<メディアミックスする国>なのか/マーク・スタインバーグ 監修:大塚英志 訳:中川讓

読みはじめてすぐ、うーんこれは読むのはやめようかなと思ったけれど最後まで読んだ。KADOKAWAの話がメインになる中盤以降はかなり楽しく読めた。

この本は2015年初版発行ということなのでKADOKAWAドワンゴの経営統合について好意的に書かれているけれど、2017年現在、すでにKADOKAWAドワンゴによるニコニコ動画というコンテンツはオワコンになりつつあるので感慨深いものがある。

クリエイティブな商品=実態のない商品を売ることを仕事にしている人にはとても参考になる本だと思う。考えさせられることがいくつかあった。

 

ハリウッド映画のエンドロールなどのクレジットの仕方を管理しているアメリカ・プロデューサー組合は、新しい専門職のクレジットを用意した。それが「トランスメディア・プロデューサー」である。

   <中略>

トランスメディア・プロデューサーというクレジットは、作品プロジェクトの長期的な企画立案、開発、制作、複数のメディアにおける物語の連続性の維持のいずれか若しくは全て及び独自の筋を新しいプラットフォームで創造することについて、主要な責任を有する個人または集団に授与される。

 

トランスメディア・プロデューサー」は、いわゆる「メディアミックス」を行う際の統括責任者だ。お金のかかった大作もので、メディアミックスを行わないことは多分ほぼない。

著者は、日本でメディアミックスが行われるようになる前からアメリカで同様の例があると言うが、日本のメディアミックスがアメリカでいうところの「トランスメディアストーリーテリング」に影響を与えていることはたしかだとも言う。

 

ハリウッドや北米で行われるトランスメディア展開がどのようなものなのか理解しようとすることは、日本のメディアミックスのやり方を考えること(例えば「世界」の構築を重視すること)と、とてもよく似ている。

   <中略>

そもそもの印刷文化の豊かさや、将来的なトランスメディア展開を行う上で、マンガというジャンルがいうなれば研究開発部門として機能していることなどは特に重要で、<中略>例えばフランク・ローズの『のめりこませる技術:誰が物語を操るのか』でもこのことは取り上げている。

 

アメリカのアニメとは違う、「ストップアニメーション」という日本独自のアニメーション手法について、

アメリカのテレビ放送の商業的アニメーションとして使うことを考えるなら、こららの作品は、ある種の実験映像のように見える。アメリカの視聴者が日本のアニメーションに惹きつけられる最初の取っ掛かりは、まずこの点にある。そして複雑なストーリーやメディアミックスの体験へと至っていく。実験映像に見えてしまうという点が、世界中で「アニメ」を観る人々を魅了しているのだ。

 全てのメディアは、そのメディアに何ができるかという限界によって定義される。言い換えるなら、肯定的な限界、あるいは表現を実現させるための障害こそが、個々のメディアの固有性を決定づけているのだ。

 

アニメと実写におけるキャラクターの違いについて

複数のメディアに通じてキャラクターを屹立させる際に、高いレベルでビジュアルを一貫させたことは、『アトム』がメディア間において高い相乗効果を上げた理由の一つだった。『赤胴鈴之助』のような、先行する作品におけるマンガのイメージと実写映画、TVドラマとのビジュアルの断絶を考えれば、このアトムがいかに効果的であったかわかるだろう。

靴、服、勉強机、壁や天井、ランドセル、ノートなどにアトムが用いられていくにつれて、絵的に静止した動態性を持つ『鉄腕アトム』のイメージは、幼いファンの生活の全ての場所について行くことができるようになり、常に彼らの一番好きなキャラクターとそのキャラクターの物語世界を思い出させるようになった。

アニメやマンガのキャラクターがこどもたちの身につけるグッズに登場することで、こどもたちはキャラクターをより身近に感じ、さらにアニメやマンガにのめり込んでいくというわけだ。

そのために、「安定したビジュアル」を持つアニメやマンガのキャラクターに対し、実写のキャラクターはそうもいかないということである。

 

「メディアミックス」という用語が日本におけるマーケティングの言説に入り込んできたのは一九六三年である。

   <中略>

一九六三年には、メディアミックスという言葉をタイトルに含む日本の論文が発表され、業界誌『宣伝会議』一月号のコラム「現代広告辞典」でも注目のキーワードとして取り上げられている。

 

各種広告媒体を、広告目的にしたがって、有機的、総合的、効果的に使用すること。

 

※ちなみに、日本におけるアニメの先駆けである「鉄腕アトム」が登場したのも1963年。

 

日本においてメディアミックスを仕掛けてきた角川について。

角川春樹は一九七七年のエッセイで、商品の性質や商品文化の根底がどう変化していくかを予見している。

 

本にせよ、音楽にせよ、映画にせよ、実体のない商品です。電気製品、自動車というような物質的商品ではない。本もレコードも音楽も、幻想そのままが商品だといっていい。その幻想に商品価値がなければ、たとえば本は単なる紙とインクになってしまう。

 

角川が指摘した耐久消費財から非物質的な(実体のない)商品への変化というものは、ポストフォーディズムの心臓部分であり、物理的な位置や(経済的な)価値といったものの意味合いを変えてしまった。角川が比較した二つのタイプの商品(自動車と本)が示しているのは、耐久消費財から経験財への提供へという仕事における大きな変革である。

   <中略>

経済が夢を扱う産業を中心にしてくるようになるにつれ、春樹は角川書店が夢から利益を上げていく方法を確立していった。

 

文化財が文化的消費財へと断片化し、それらの断片が大きな何かを構成する部分となる一方で、文化メディア複合企業が誕生しているのだ。ハリウッドで一九六〇年代から七〇年代にかけて起きたことと比較してみるといいかもしれない。「アメリカン・ニューシネマ」として知られる、映画や映画作りに変化が起きた時代である。

 

まったく関係ないけど、映画学校時代、講師の先生がゼミの一人一人と面談して好きな映画を聞いていくというのがあったんだけど、全員の面談が終わったあとに先生が「この中で一番映画をみてる人は◯◯さんだ」と言って、わたしたちはどうやってそれを判断したんだと思っていたら、それは、◯◯さんは「アメリカン・ニューシネマ」が好きと答えたからだって先生が言ったことを覚えている。

超どうでもいいことだけど、18歳の自分には衝撃的だった。

 

角川のメディアミックスも、小説の映画化を基盤とした春樹時代から歴彦へと経営が移っていく中で、変容していく。

 

第二の角川メディアミックスは、商品が基盤としている世界の消費を強調している。特に『MADARA』では、物語が無限に繰り返せるという性質を、輪廻転生や生まれ変わりといった概念によって与えようとした。主人公たちは一〇八回生まれ替わり一〇八の『MADARA』があると公言されていた。無限の連続性は、より最近の作品であっても同じことだ。ループモノ、時間モノ、平行世界モノと呼ばれる作品群は、無限に作品展開していくことが可能だ。『涼宮ハルヒシリーズ』や、『STEINS:GATE』といった作品は、最近の作品での好例だろう。制作側からすれば、物語を幾通りにも展開可能にするということからメディアミックスへ至るのは自然なことであり、つまりこれはメディアミックス展開のための装置であるのだ。そして、読者の側からすれば、物語が作られるメカニズムを理解していたとしても、それでもさらに物語を欲しくなるようになっているのである。

ループモノの作品がオタクに好まれるという謎が解けた。「ループモノの作品がオタクに好まれる」という説明ではなく、この場合、「オタクの興味を引くためにループモノの作品を作っている」のだと思う。

つまり、マーケティング戦略にうまく踊らされている。それが「好き」になるように環境を作られている。

 

著書によれば、この「世界観の強調」というのは日本のメディア特有のものではなく、最近のプロジェクトとしては「クローバーフィールド」や「第九地区」もトランスメディア戦略を用いているらしい。「第九地区」がそうだと言われてもあまりピンとこないけど…。

 

ハルヒ』という作品では、特に原作をアニメやその他のメディアのメディアミックスを通して変形していく過程で、徐々に世界観が拡散していくということを踏まえている。二〇〇〇年代のサブカルチャーの重要なパターンとしてループものやタイムトラベルものが挙げられるが、それは一貫した世界を保つことを重視しなくなるということでもあり、つまりはキャラクターを中心軸としたメディアミックスへ移行しているということでもある。世界の一貫性は重要視されず、非一貫性はループやタイムトラベルといった物語として説明されてしまう。世界の構築はキャラクターの設定後に行われる。多くの場合は、複数のキャラクターの、である。

 

コンテンツ・イズ・キングからプラットフォーム・イズ・キングへ

コンテンツとプラットフォームという語が現れるのは、デジタルメディアでの消費が発生した時、つまり、情報の提供やオーディオ・ビジュアルを扱う商品が、特定のメディアの楔から解き放たれても一貫性を保てるようになり、それ以前は不可能だった方法で流通できるようになってからだ。

 

コンテンツの制作の重要性が消えたわけではないが、実際は、コンテンツの媒介者、いわばコンテンツを配信したり仲介している業者が、今日では一番お金を儲け、彼らがどんどん力を握ってきているというのが、昨今のメディア状況なのではないかと思われる。グーグルやアップルやアマゾンは、閉鎖的なプラットフォームやエコシステムを持ち、それらを使って既存のコンテンツを配信している。このエコシステムの部分こそ、デジタル経済で最も収益性の高い成長分野なのである。一九九〇年代と異なり、もう企業がコンテンツクリエイターにお金を払う必要はなくなり、むしろ企業は喜んで配信事業者として振る舞って、既存のクリエイターに重労働をさせるようになった。そうした企業の力の配分は、両立することのないプラットフォーム間の争いとなり、創造活動は閉鎖的なコンテンツ配信のエコシステムの中に閉じ込められていく。 

 

ここで少し恨みがましいことを言うと、コンテンツというのが演劇でいうところの作品であるとすれば、この傾向はすでに顕著だと思う。

演劇祭が乱立し(だからこれは現代美術にも同じことが言えると思う)、どこも似たような顔ぶれが並ぶ昨今、そこで作品を上演できた者が勝ちで、そうでないものは人に知られることなく消えていく。

本来なら作品そのものを作るスタッフやキャストが尊重されるべきなのに、作品は単に「演劇祭を成り立たせる」ための一コンテンツでしかなく、ただ消費されるために存在してしまっている例もある。

もちろん心ある演劇祭の運営者も確実にいると言えるけれど、それは少数派だと思う。

演劇祭の運営も大変だけど、作品=コンテンツを生み出すのは、大変なんていうものではない。

 

クール・ジャパン政策を担当するのもこの象徴であるということはそれなりに重要だろう。アニメからマンガ、キャラクターグッズ、メイドカフェまでを推進する部局は経産省にある。ソフトからコンテンツへの移行が一九九〇年代半ばまでに発生し、二〇〇〇年代初期にはその地位を固め、日本のコンテンツを推進するというクール・ジャパン政策の背景になったのは明白だ。

 

なるほど、クール・ジャパン経産省が推進しているということは、これは文化を育て、コミュニケーションの一手段として扱うということではなく、クール・ジャパンというのはコンテンツを使った単なる金儲けなのだといまようやく理解した。

そもそも、経産省という省庁が管轄に置いている時点で、本来であれば当事者である日本文化の作り手たちはクール・ジャパンには入れないのだ。

クール・ジャパンは金儲けや自尊心を高め、「日本スゲー」と自分で言いたいがためのものなんだ……。

【新訳】地下室の記録/ドストエフスキー(訳・亀山郁夫)

ドストエフスキー「地下室の記録」を読んだ。

はっきりいって、みじめたらしい、傲慢で偏屈な男の話だと思った。

そして、これこそわたし自身だ、とも思った。

 

訳の亀山郁夫さんがあとがきに書いているように、この男は「意識の病」に蝕まれていて、それこそが彼をみじめにし、傲慢な人間に仕立て上げている。

いまのように余暇を楽しむ余力があり、見かけ上は民主主義が保たれ、人は平等であるかのように信じられている時代とは違う。

自分の好きな仕事に就くなんてことや、自分探し、なんていう言葉も響かない時代に「意識の病」に苛まれるということは悲劇だと思う。

現代人の先駆けなんだろう、きっとこの男は。

 

そういう「意識の病」に苛まれた男の挙動や言動を、この小説は逐一描写しているのだが、人とのコミュニケーションを逐一頭でシミュレーションしては、シミュレーションどおりにはまったくいかない現実にくらくらしているわたしにはとってもよくわかる。

ふつう人は、こんなに頭で考えてばかりいてはおかしくなると思う。

人とのコミュニケーションはシミュレーションのようにうまくいくわけがないし、何より機転が大事なのだ。

だからこの男は人間関係がうまく持てないし、人から馬鹿にされもする。

本当に他人事とは思えない。

 

他人事とは思えないと思いながらも、でも、小説は客観的に読めるものなので、自分のコミュニケーションの不能を棚に上げて、この男はなぜこんな言動をするのか、なぜ人とうまく付き合えないのかと読んでいるあいだはずっと訝っていた。

 

共感した言葉がいくつかある。

 

ああ、諸君、わたしが自分を賢い人間とみなしているのは、これまで何ひとつはじめることをしなければ、何ひとつ終えることもできなかった、ただそのためだけなのかもしれない。 

 

今となってじつによくわかるのだが、わたし自身、途方もなく虚栄心がつよく、おまけに自分にたいする要求がきつすぎたため、かなりの頻度で、嫌悪を覚えるほどの狂おしい不満をいだきながら自分を見つめ、だれもが自分と同じような見方をしているものと思いこんでいた。

 

しかし、わたしにはすべてを和ませてくれるひとつの逃げ道があった。要するに、『美しくて崇高なもの』のなかに逃げ込むのだ。むろん、これは空想のなかでの話である。

 

わたしにとっての『美しくて崇高なもの』は、もちろん、劇場の客席だ。そこに座って演劇なり映画なりを眺めることが『美しくて崇高なもの』そのものだ。

わたしが演劇や映画を好むのは、『美しくて崇高な』空想の中へ逃避するためなのだと自分でもわかっている。

それこそ、わたしにとっての地下室なのだ。

 

長く人々に読まれているのだから当然なのだけど、なんだこの男はと時に嫌悪しながら、でも、読了感は悪くないというふしぎな小説だった。

 

迷いの深い闇より

信念に満ちる熱いことばで

堕ちた魂を引きあげたとき、

深い苦しみに満たされたおまえは

両手をもみしだいて、

おのれをからめとる悪を呪った。

もの忘れがちな良心を

追憶のかずかずで鞭うちながら、

わたしに出会うまでの身のうえを

おまえは語ってくれた。

と、ふいに両手で顔をおおうと

溢れる羞恥と恐怖におののきながら

おまえはどっと涙にくれた、

高ぶる怒りに身をふるわせて

…… 

 

N・A・ネクラーソフの詩から