存在の耐えられない軽さ

社会復帰のリハビリとして、社会との接点として、つらつらと書くつもりです。

【新訳】地下室の記録/ドストエフスキー(訳・亀山郁夫)

ドストエフスキー「地下室の記録」を読んだ。

はっきりいって、みじめたらしい、傲慢で偏屈な男の話だと思った。

そして、これこそわたし自身だ、とも思った。

 

訳の亀山郁夫さんがあとがきに書いているように、この男は「意識の病」に蝕まれていて、それこそが彼をみじめにし、傲慢な人間に仕立て上げている。

いまのように余暇を楽しむ余力があり、見かけ上は民主主義が保たれ、人は平等であるかのように信じられている時代とは違う。

自分の好きな仕事に就くなんてことや、自分探し、なんていう言葉も響かない時代に「意識の病」に苛まれるということは悲劇だと思う。

現代人の先駆けなんだろう、きっとこの男は。

 

そういう「意識の病」に苛まれた男の挙動や言動を、この小説は逐一描写しているのだが、人とのコミュニケーションを逐一頭でシミュレーションしては、シミュレーションどおりにはまったくいかない現実にくらくらしているわたしにはとってもよくわかる。

ふつう人は、こんなに頭で考えてばかりいてはおかしくなると思う。

人とのコミュニケーションはシミュレーションのようにうまくいくわけがないし、何より機転が大事なのだ。

だからこの男は人間関係がうまく持てないし、人から馬鹿にされもする。

本当に他人事とは思えない。

 

他人事とは思えないと思いながらも、でも、小説は客観的に読めるものなので、自分のコミュニケーションの不能を棚に上げて、この男はなぜこんな言動をするのか、なぜ人とうまく付き合えないのかと読んでいるあいだはずっと訝っていた。

 

共感した言葉がいくつかある。

 

ああ、諸君、わたしが自分を賢い人間とみなしているのは、これまで何ひとつはじめることをしなければ、何ひとつ終えることもできなかった、ただそのためだけなのかもしれない。 

 

今となってじつによくわかるのだが、わたし自身、途方もなく虚栄心がつよく、おまけに自分にたいする要求がきつすぎたため、かなりの頻度で、嫌悪を覚えるほどの狂おしい不満をいだきながら自分を見つめ、だれもが自分と同じような見方をしているものと思いこんでいた。

 

しかし、わたしにはすべてを和ませてくれるひとつの逃げ道があった。要するに、『美しくて崇高なもの』のなかに逃げ込むのだ。むろん、これは空想のなかでの話である。

 

わたしにとっての『美しくて崇高なもの』は、もちろん、劇場の客席だ。そこに座って演劇なり映画なりを眺めることが『美しくて崇高なもの』そのものだ。

わたしが演劇や映画を好むのは、『美しくて崇高な』空想の中へ逃避するためなのだと自分でもわかっている。

それこそ、わたしにとっての地下室なのだ。

 

長く人々に読まれているのだから当然なのだけど、なんだこの男はと時に嫌悪しながら、でも、読了感は悪くないというふしぎな小説だった。

 

迷いの深い闇より

信念に満ちる熱いことばで

堕ちた魂を引きあげたとき、

深い苦しみに満たされたおまえは

両手をもみしだいて、

おのれをからめとる悪を呪った。

もの忘れがちな良心を

追憶のかずかずで鞭うちながら、

わたしに出会うまでの身のうえを

おまえは語ってくれた。

と、ふいに両手で顔をおおうと

溢れる羞恥と恐怖におののきながら

おまえはどっと涙にくれた、

高ぶる怒りに身をふるわせて

…… 

 

N・A・ネクラーソフの詩から

 

おもひでぽろぽろ/高畑勲

夏になるとみたくなる映画がある。

高畑勲監督によるジブリ映画「おもひでぽろぽろ」だ。

気づけばわたしは、ずっとおばさんだと思っていた主人公のタエ子よりも年上になっていた(ていうか、かなり老けたキャラデザだと思う。実際の27歳ってもう少し見ため若い)。

この映画の「現在」は1982年で、こども時代は1966年らしいのだけど、1995年頃に小学生時代を過ごしたわたしでもタエ子と共感することは多くて、この映画をみるとこども時代を思い出す。

長らく完璧な映画だと思っていたけれど、あらためてみると、タエ子が農家に滞在してからの回想はやや急に感じることも多い。

ていうか、人と一緒にいるのにこの人は自分のこども時代のことばかり思い出している…。現実には一緒にいたくないタイプだ。

とはいえ、序盤の回想シーンの差し込み方はかなりうまいので違和感はない。

最近みた「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の回想シーンの差し込み方もオリジナリティがあってすごかったけれど、こちらも全然負けていない。

 

印象的な回想シーンの差し込みというと、映画がはじまってすぐ、上司に休暇の許可を得るシーン。

山形の田舎に行くという説明を、「田舎に憧れてるんです」というタエ子のひと言から、タエ子が小学校5年生だった頃の回想に一気に飛ぶつなぎ、が抜群にいい。

夏休みにどこへ行くかと話す小学生女子たち。いつの時代も同じだ。

わたしも夏休みは毎年、父以外の家族で母方にあたる大分のおじいちゃん家へ行くのが恒例になっていた。

だから、「田舎」という存在に猛烈に憧れるタエ子の気持ちはなんとなく心苦しい。

田舎ってね、なんとなく、あったほうがいいんです、こどもの時分には。

(ところで、ここでタエ子とお母さんが話しているんだけど、通信簿をタンスにしまう動作など、演出が細かいしリアリティがある。わたしの通信簿も、なくすからという理由で休暇中ずっと母のタンスにしまわれていた。)

田舎には行けなかったタエ子だけれど、おばあちゃんと一緒に熱海の大野屋へ行く。

この場面も、大分のおじいちゃん家に滞在中、毎日のようにあちこちの温泉に連れていってもらったことを思い出す。

 

回想シーンのうまさもさることながら、この映画、カット割りも絶妙だ。

めずらしいパイナップル(切れてないパイナップルを家で食べるなんて、いまでもめずらしいと思う。)を父が買ってきて、みんなで食べるシーンで、それぞれが口を開けていく顔のアップがつながれていくのだけど、これがうまい。

期待はずれだったパイナップルを、姉2人はいらないと言ってタエ子にあげるのだけど(もちろんタエ子もおいしいと思っていない)、おいしいと無理につぶやいて黙々と食べ続けるタエ子の姿もせつない。

あんなに期待していたパイナップルがまずいなんて、どうしても諦めきれないというか、残せないというか、こどもってこういうとき、意地を張る。

 

野球の試合後、タエ子に片思いしているというヒロくんがタエ子にはじめて話しかけたとき。

「雨の日とくもりの日と晴れと、どれが一番好き?」と問うヒロくんに「くもり」と応えるタエ子。

そこへストライクを受けるキャッチャーの画がインサートされて、ヒロくんが「おんなじだ」と言う。

そのインサートがすばらしい。

 

それからはじめてこの映画をヘッドフォンをつないでみたのだけど、これが正解だった。

前述のパイナップルを食べるシーンで、ひとり残されたタエ子なのだが、テレビをつけるぶちゃっとした音が鳴って、テレビから音楽が流れているという体になっている。

アニメなのに、芸が細かい…。

しかもこのとき流れる曲の歌詞が、「どうせだますなら死ぬまでだまして」だ。

パイナップルへのタエ子の思いを代弁しているようだ。

当時の流行歌も随所で流れるのだけど、タエ子が山形への土産を買うシーンなんて、「ライディーン」だ。はじめて気づいた。

それから、学級委員会で谷さんという女の子がベトナム戦争の話をするのだけど、これも時代背景だなあ。

休暇を利用して現代のタエ子が山形へ向かうシーンで出てくる駅。おばあさんが新聞を敷いた上に座っているのも、わたし自身はみたことのない風景だけど、妙になつかしく思ってしまう。

 

 

ところで最後にこれを書いておきたいのだけど、タエ子の両親って、この時代としては普通なんだろうか。わたしからするとけっこうネグレクトな家庭…だと思う。

・学校で褒められたことを話すタエ子をさえぎって、給食を残すことを咎める母

・駄々をこねるタエ子、置いていかないでと家族を追いかけて外へ飛び出るんだけど、裸足だったので父がカッとなってタエ子の頬を叩くシーン(このときの父の怒る意味がわからなかったんだけど、原作コミックには、タエ子のみっともなさ、あさましさにカッとなったと書いてあるそう)

・言葉では敵わない年の離れた姉2人という存在

ネグレクトと言わないまでも、タエ子の気持ちもなんとなくわかる。

わたしならグレてたかもしれない。両親ともに、昭和の人間だなあと感じる…。

 

それにしても何度みてもほんとによくできた映画だなあ。

出てくるこどもたちみんな、出会ったことがあると思えるほどリアリティがあった。

あべくんのエピソードも、あべくんの気持ちを解説するトシオさんも素敵だった。

 

こども時代のことばかり思い出しているタエ子に、そろそろ、いまを生きないといけないんじゃないのと思うけれど、最後のそれが暗示される。

自分で電車を降り、トシオさんのもとへ向かったのだ。

もうそこからの「愛は花、君はその種子」という都はるみさんの歌う主題歌とともに流れる映像は涙なしにみれたためしがない。

 

それより、いまをときめく高橋一生が声優で出演というから、もしかして野球のうまいヒロくんかかっこよく描かれてる殿村くんかと思ったら、「三波伸介のモノマネをするクラスメイト」ということで、この太っちょの彼だったことに驚きを禁じ得ない…。

ここから「天沢聖司」だもの、よかったよねえ。

 

ジブリというと宮崎駿監督のほうが断然有名だけど、高畑監督の演出もかなり冴えてます。

日本の人形劇 1867-2007/加藤暁子

そのタイトルにふさわしく、日本の社会の中で人形劇がどのように発展し位置づけられてきたか、日本における人形劇の歴史を網羅したすばらしい一冊だった。

人形劇をやっている人でも、読んでいない人はかなりいると思う。

もったいない。ぜひ読んでほしい。

わたしたちはすべて、歴史のつながりの上に生きているのだから。

過去のことを知らずに、未来は作ることができない。

 

知らないことがかなり書かれていて、読みながらつけたふせんの数がものすごいことになってしまった。

以下、引用して残したい。

 

幕末から明治期の人形演戯の傾向を大きく分けると、カラクリ系(手品の要素をもつ変化の芸)とドラマ系(義太夫節などの語りにあわせる物語性のあるもの)になる。

   <中略>

カラクリ物は明治期とくに盛んだったが、芸を堪能できるという意味で、今日、生き残っているのはドラマ系である。 

 

 

ハリウッド映画に代表されるようなわかりやすいものが好まれると言われる昨今の傾向からは、人形劇が大衆文化として人気があった当時、この、カラクリ系ではなくドラマ系をより多くの民衆が好み、今日残るものとなったということが驚きだ。

 

 ヨーロッパではマリオネットが主流だったが、日本では糸操り人形の座はすくなかった。ほとんどが人形をしたから差しあげて遣う方式であった。この違いは人形劇が生まれた経緯と関係している。

 前者では人形を人間のミニチュアと考えた。人形を使って天国も地獄もふくめた小宇宙をつくりだそうとした。人形は人間の比喩的存在であって、人間と足元の同じ地面(床)に立つことができた。後者つまり日本では、人形劇の源流は神事あるいは祝福芸にあった。神社の祭礼などで神さまを喜ばせるもの、あるいは人々の家をたずねて神さまのかわりに祝福をさずけるものであった。芸能一般がそうであった。現在でも舞台の開幕を祝う焼くとして『三番叟』が舞われたりする。人形は小さい人間というよりも、神と人とのあいだをとりもつメッセンジャーであった。そこから人形は差しあげて遣う方式がむしろふさわしいと考えられたのだろう。

 

明治時代、ドイツの糸操り人形劇団、ダアク座が日本公演を行った際には、初日の公演をみた歌舞伎の五世尾上菊五郎が翌々月にはもう自分たちの演目にしていたらしい。著者は、「わたしはそこに、当時の歌舞伎役者がもった新時代への気構えを感じる」と書いている。

歌舞伎に対して新劇が出てきたように、演劇・芸能というジャンルがお互いに意識し、競い合っていた熱はいまはないのが残念だ。

 

ドイツの近代人形劇としては、カスペルを主役に据えた作品が目立つが、これはもともと「カスペル劇」として民間芝居で演じられていたものだそう。

さらにあの有名な、ゲーテによる「ファウスト」も、もともとは民間伝承の人形劇のひとつであったらしい。

1746年にハンブルクで公演されたということが最古の記録として残っている。

 

ネットで検索すると、ドイツの現代演劇が専門の谷川道子さんがSPACに寄稿した文章がみつかった。

spac.or.jp

 

ゲーテも、人形芝居として演じられる「ファウスト博士」をみたんだろうな。

 

話は飛ぶが、舞台美術家として有名なかの伊藤熹朔も人形劇をしていた時期があるらしい。

なんでも、

「役者に多雨する不満、新劇といっても、ほんとの始めだから、新派の役者とあまり変わりはない。こっちの舞台装置に役者がのってこない」とそれを人形劇に手を染めた動機としている。美術の新情報は、写真や画集などからも視覚的に分かる。しかし、舞台の空気、とりわけ演技といったものは、体験した人、見た人にしか分からない。ヨーロッパ近代劇の情報が日本に入ってきた、いわゆる新劇誕生の初期には、演出、美術、照明などの舞台スタッフと、演技者(役者)との理解の食い違いは相当にあっただろう。美術家がとくに人形劇をこころみようとしたわけも、俳優への不満が底流にあったと思われる。

 

次に、人形劇と教育の切っても切れない関係について。

幼児教育の現場に人形劇の活動をいち早く取り入れたのは、1923年頃のことで、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)附属幼稚園の倉橋惣三園長であったそうだ。

人形劇の普及に熱心に取り組んだ彼の持論は、

「型にはまった幼稚園を、真に子どもの世界らしい幼稚園にする為に」であった。この教育観の根底には、倉橋の「みんなでいっしょに舞台を見る楽しさを子どもたちと分かちあいたい」という願いと、「小さなものの動きに徳に惹かれ夢中になる子ども心」への熱い共感があった。

らしい。

非常にシンプルで、いまに通じる思いだ。

 

とは言え、日本が昭和に向け富国強兵へと突き進む中で、そのようなことも言っていられなくなった。

日露戦争の英雄と讃えられる肉弾三勇士を題材にした人形劇すら作られ、こどもたちに向け上演されるようになった。

肉弾三勇士を讃えるということはつまり、捨て身の攻撃を讃えるということだ。

肉弾三勇士が亡くなった一ヶ月後には、新派、新劇、新国劇人形浄瑠璃でも舞台化され、さらに映画においては7本の映画が封切られるという国民的熱狂だったそうだ。

 

 だが、とわたしは思う。この十余年ほどのち太平洋戦争の末期、自分の操縦する飛行機ごとアメリカの軍艦に突っこんだ特攻隊や、潜水艦から人間魚雷となって飛びだす行為を、英雄とほめたたえた遠因はここにあったのだと。海の藻屑と消えた若者の多くは、我が身を弾丸として自爆するのを名誉とする空気のなかで子ども時代を送った人たちであった。

 

 人形劇が子どもの生活のほんの一角に登場したばかり、社会的認知はおろか知る人ぞ知るというものであったころに、軍部はそれに目をつけ、それによって愛国心を吹き込もうとしていたのか。しかもそのことを人形劇をつくる側が、自分たちの仕事が認知されたと素直によろこんでいたのである。当時の世間では、お上の言うことは正しいというのが普通の感覚だったのかもしれないが、それにしても、なんという庶民の素直さ、そして、なんというお上の(軍部)の目のつけどころの素早さよ!

 

また同時期、ヒトラー率いるナチス・ドイツでも、片手遣いのカスペル劇が製作宣伝に利用されており、日本軍部は、そこから人形劇を利用することを考えついたのだろうかと著者は推察している。

なんでも、大政翼賛会にも人形劇研究委員会なるものが作られていたらしく、そこでは、サザエさんに似た人形家族「大和一家」が銃後の覚悟や家族の和を説いたそう。

人形劇に関する出版数は1941年〜42年がだんぜん多いということで、社会的影響力を失ったいまの人形劇界からすると隔世の感がある。

戦時下、軍部により利用された人形劇ではあったが、この中からいまの人形劇に至る影響がたしかにあったそうだ。

この時代に人形劇に触れた人の中から、戦後の人形劇や児童演劇の発展に大いに尽力した人が生まれている。

人形劇をやっているには知らない人はいないであろう「なかよし」も、そのオリジナルは翼賛会時代にあるそうである。

 

暗い話ばかりではいけない。

藤代清治による「ケロヨン」にも触れられているのだけど、彼らの武道館公演はなかば伝説のように聞いた程度で、実際にはどんな感じだったのだろうと興味がわいた。

だって、なにしろ会場が武道館なのだ。

ネットで舞台写真をみることができた。

 

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バブリーな匂いがするけど、人形劇が武道館で上演されているというのが痛快だ。

 

人形劇の発展と密接な関係のある、子ども劇場・おやこ劇場についても触れられている。

 

 前述のファミリーとの出会いのもうひとつの出来事として、「子ども劇場・おやこ劇場」がある。福岡を発祥の地としたこの運動は、一九六六年からはじまり七〇年代に入って全国にひろまった。急速なテレビの普及によって、子どもが「お茶の間(テレビのある場所)文化」に囲いこまれてしまうことへの、また経済の高度成長が地域のつながりを壊しつつあることへの危惧から、心あるおとなたちが起こした運動であった。「良い舞台」を親子ともども見ることで、失われようとしていた家族や地域の連帯を取り戻そうというものだった。

 

ここから、現代に近しい時代の話に入っていく。

人形劇とは何かということについての言葉や、洞察がおもしろい。

1957年ルーマニアの首都ブカレストで開かれたウニマ大会に、川尻泰司とともに参加したプーク団友で詩人の山村祐は「人形劇は詩である」と、ウニマ大会の様子をまとめた「現代ヨーロッパの人形劇」という本に記したらしい。

社会主義リアリズム全盛のころで、創作のうえで、なによりテーマが重視されていた。日本の人形舞台のほとんどが、そのころまだ、一文字と袖幕のある額縁舞台でのセリフの多いドラマ劇だった。なにかが違う、もっと別のことがやれるのではないかという気持ちを、人形劇をやっていたもののだれもが感じはじめていた時期だった。

著者はこの言葉に感銘を受けたそうだ。

著者の言うこの問題は、残念ながらいまもしつこく残っているように思う。

 

人形劇団ひとみ座の宇野小四郎は、劇団をあげて東京・渋谷の東急本店通りに作ったカフェ兼劇場である「プルチネラ」に、こんな思いを託した。

ソヴィエト・ロシアの著名な人形劇かオブラスツォーフの本のなかに、屋根裏のサロン的小劇場の話があった、かれは、いつかはそういう<人形劇を徹底的に楽しめる、ちょっと気取ったサロン的劇場を開いてやるぞ、と思って>いた。<人形劇を自由に論じ、あらゆる可能性を演じる空間、人形の王国、愛の小宇宙という>サロンを夢みていた。しかし、それが新宿西口広場風さ事件で変わった。<小さくてもいい広場を構築しよう><閉鎖的サロンから、開かれた広場としての空間へ>と、プルチネラは<道路の続きみたいな所><人形劇が新鮮な外気に出会う所><社会が人形劇に触れる所>と。

平田オリザの言うような、そしてかつては宮沢賢治の目指したような「広場」が想像される。

 

現在、人形劇のフェスティバルが開催される町は全国に300以上あるらしい。

さらに知らなかったのだが、国民文化祭には人形劇部門なるものがあるらしい(ただしネットで検索したかぎり、直近で2014年秋田での情報しかわからなかった→

由利本荘市 | 人形劇フェスティバル 新作人形劇スタッフ・キャストを募集しております!)。

国民文化祭を機に人形劇フェスティバルを開催した縁で、現在まで続いている町もあるようだ。

 

海外に目を向け、フランスの太陽劇団Théâtre du Soleil)にも触れている。

実際にみたことはないのだけど、文楽人形の動きを模写したような動きを生身の俳優がすると聞いている。

そこで、思い出した!

今年、フランスはアビニョン演劇祭のオープニングを宮城聡率いるSPAC「アンティゴネ」が飾ったというニュースが記憶に新しいが(現地ではかなり好評だったそうで嬉しい)、宮城聡さんの演出も、俳優に文楽人形のような動きを要求するものだ。

フランス人って、こういうのが好みなんだろうか。

宮城さんが、いなさ人形劇まつりの審査員をしていたこともあるらしく驚いた。

 

最期にいくつか、わたしが共感する著者の人形劇観を引用。

「命を吹きこんで」 人形劇について語るときに多用される言葉だが、著者はこの言葉を使わない。おそらく人形遣い自身もそのような感覚で人形に向かってはいないだろう。かれらは「命を見つける」ことを仕事としている。

 人形劇は俳優劇にくらべれば、小さな舞台、小さな役者(人形)が大きな力を発揮する演劇だ。言語表現でいえば「詩」のようなもの、表現要素は選びぬかれ、シンボル化される。小さいことやシンボル性が、子ども、とくに幼い子どもをひきつける。だから人形劇は年齢をえらばない万人のものだ。おとながそれを見ないのは、人形劇のおもしろさに気づかないか、あるいはいまの人形劇がつまらないからだろう。

 

まちがいなく、人形劇への深い愛情によって作られた一冊だった。

人形劇に携わる人は必読。

グッバイ、レーニン!/ヴォルフガング・ベッカー

ベルリンの壁崩壊前夜の東ベルリン。

政府へのデモに参加したあげく警察に連行される息子を偶然みかけた母は、その場で卒倒し、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一されたことも知らないまま、8ヶ月後にようやく目を覚ます。

家族を捨て当時の西ベルリンへ亡命した夫との関係から社会主義思想に染まっていた母には、資本主義にどっぷりとハマっていく現在のドイツの姿をみせることは刺激が強すぎると判断した息子・アレックスは、東西ドイツ統一のニュースを母からひた隠しにしようとする。

 

この、一見すぐにバレそうなアレックスの企みは、自宅のベッドから一歩も動けない母という事実と、映画監督を目指す会社の同僚の技術や旧東ドイツ製の食品ラベルを活用するなどといった彼自身の巧みな嘘によって、なかなか母にバレることはない。

さらに、部屋からみえたコカ・コーラの垂れ幕や西側の商品について母が疑問を持とうものなら、その事実を取り繕うためのニュース番組まで作り上げ、嘘に嘘を重ね、東ドイツがいかに西側より優れているか、慈悲の心をみせているかについて披露してみせる。

アレックスの描いた西ドイツの姿は、かつて自らが所属していた東ドイツにこそ望んでいた姿なのだろう。

考えてみれば当然だ。誰だって、言い方は悪いけれど「負けた側」にはなりたくない。

東西ドイツの統一から30年にもなろうかという今日、ドイツはEUのリーダーであり、世界中の国の中でも際立った姿勢をみせてくれているのだけど、統一後はきっと混乱していたのだろう。

その混乱にもっとも激しく翻弄されるのは、いつだって市井の人々なのだ。

 

アレックス家族と同じアパートに住む老人は、東西ドイツが統一したことで自分が被ったことの愚痴をいつもこぼしている。

母がかつて教鞭をとった学校の校長すら、その地位を失っている。

東ドイツというと、秘密警察や市民による密告社会であったという暗い側面ばかりが取りざたされるけれど、そこで人生を送った人にとって、いや、そこで人生を送り、「ひどい仕打ちを受けることのなかった」人にとっては、やはり自分の故郷であるのだろう。

 

目覚めたばかりの母を刺激しないようにという考えからはじまった彼の東ドイツは、劇中で彼も言うように、彼自身の望んだ東ドイツの姿でもあった。

それはまるで、自分の不遇な環境を一変させてくれるなら戦争すら望むという若者の声に近いとも思える。

 

この映画には、悪いやつは出てこない(しいていえば記号的に描かれる東ドイツの警察は悪いやつとして描かれる)。

中でもなんていいやつなんだ、と感心したのは、アレックスの姉の夫と、アレックスの同僚で映画監督志望の男。

アレックスの姉の夫は、西側の人間でありながら、義母のため、こども時代の経歴を詐称するというアレックスの指令に戸惑いながらもきちんと従ってくれる。

アレックスの同僚で映画監督志望の男はまた痛快で、そのもてる技術でもってアレックスの偽装の力になる。映画の才能があるかどうかは別にして、たとえ彼自身の欲望を満たすものだったにしても、彼は仕事をしながら、どれだけの労力をアレックスの計画に注いだんだろうと思うと感慨深い。

しかも、最後、東ドイツ主導によって東西ドイツが統一されたという偽の番組をしたためたビデオテープを病院にいるアレックスに届けるシーンでの別れ際などは本当にかっこいい。

アレックスと知り合ってすぐ、「2001年宇宙の旅」の猿人が投げた骨が宇宙船に変わるという有名なモンタージュを、結婚式の花嫁が投げるブーケとウエディングケーキに見立てたと自慢するシーンだけでも、彼の人となりがわかる重要なシーンだ(一度目にそれを流したとき、アレックスは寝ていたけど)。純粋に映画が好きな人間という感じで好感が持てる。

 

そして誰より魅力的だったのは、アレックスの彼女でソ連からきた看護学生という役柄の、天使のララ! 天使の、と形容するのはアレックスなのだけど、彼女の顔つきや笑顔からして、本当に合っている。

こんなに魅力的な女の子はなかなかいないし、すぐに思いつくとしたら「キックアス」の当時のクロエ・グレース・モレッツくらい。

(彼女の名前はチュルパン・ナイーレブナ・ハマートヴァというらしい。ほかにどんな作品に出ているんだろうと思ったら、日本も加わった8ヶ国による共同製作作品「ルナ・パパ」くらいかな。もったいない、彼女の魅力を生かす監督が少なかったなんて。ソ連邦内のタタールスタン共和国出身ということなので、その少しエキゾチックな顔立ちが日本人好みでもあるんだろうか)

彼女だけはアレックスの嘘を嫌がり(母に嘘をつくということに対して嫌悪感があるよう)、ラスト間際で、本人に伝えてしまう。

 

最終的に映画は、父の去った真相(秘密警察にひどい仕打ちにあっていたこと、亡命した彼に家族も合流しようとしていたこと…)、母の容態の変化、父との再会といった急展開を経て、東西ドイツ統一のストーリーをアレックス流に書き換えた上で、彼のこどもの頃からのヒーローであった東ドイツ初のコスモナウト(一般ではアストロナウトだけど、ここではあくまでコスモナウト。そういえば、新海誠BUMP OF CHICKENは、ソ連式の宇宙飛行士の呼び名であるコスモナウトを使うけれど何か意味があるんだろうか)イェーンを、東西ドイツ統一の立役者に仕立て上げる。

母は、彼女の信じた祖国の社会主義思想を誇りに思ったまま、死へと旅立った。

 

この映画についてひとつ不満をあげるとすれば、ラストシーンで使用された祖国のために働いている頃の母の写真で、左側に写る女の子の顔がかなり悪魔的でぞっとすることくらいだ。あれだけはちょっといただけないというか、気持ち悪くなってしまったんだけど、同じこと思っている人いないだろうか…。

街場のメディア論/内田樹

この本は、当時筆者が在籍していた神戸女学院大学の講義を加筆・編集してまとめたものである。

神戸女学院大学と同じ市内に住んでいて、ここへ進学した友だちもいるのだけど、高校在学当時はまったく眼中にない大学だった。内田樹がここで教鞭をとっていると知っていたら、もしかしたら受験していたかもしれない。実にもったいない。でも、当時は知らなかった。これも運命だと思う。

 

彼の本を読んだあとは必ずふせんだらけになるのだけど、今回もまったくそうであった。

でも、「メディアと知」という学生対象の入門講座の内容ということと、やっぱりメディア論といえば森達也でしょうというのが自分の中にあったため、他の著作に比べて新しい発見というのはそれほどでもなかった。

 

この本を読んで印象的だったことは、これは多分筆者が意図したところにはなくて、思いがけず、わたしがいま生業とする演劇を「メディア」「資本主義経済における商品」といったテーマとつなげて考えることができたという点だ。

 

たとえば、電子書籍と紙媒体の本の違いについてこういうことを述べている。

 

 その書棚に並んだ本の背表紙を見た人が「ああ、この人はこういう本を読む人なんだな。こういう本を読むような趣味と見識を備えた人なんだな」と思われたいという欲望が書物の選択と配架のしかたに強いバイアスをかけているということです。人から「センスのいい人」だと思われたい、「知的な人」だと思われたい、あるいは「底しれぬ人」だと思われたい、そういう僕たちの欲望が書棚にはあらわに投影されている。 

 

 別にオレの家には客なんか来ないから、配架にそんな無意識的欲望のバイアスかかってないぞ、と抗議される方もおられるかもしれません。

 そうでもないですよ。

 だって、書棚に並んだ本の背表紙をいちばん頻繁に見るのって、誰だと思いますか。自分自身でしょう。自分から見て自分がどういう人間に思われたいか、それこそが実は僕たちの最大の関心事なんです。 

 

これはまさしく真理だと思う。ていうか、自分がそうだ。誰にみせるわけではないのに、本棚に並ぶ本をみて、たまににやにやしている。岡崎京子とか平田オリザとか山本直樹とか中上健次三島由紀夫etc…を本のサイズごとに雑多に並べている。

本だけでなく、DVDとビデオのコレクションもある。

映画や演劇、美術関係のチラシを収集したファイルもある…。

誰にみせるわけでもないけど、時折自分がみて、にやにやしている。自分はセンスがいいと、自分自身が思いたいのだ。

それから、自分の好きな有名人や文化人の本棚をみたい、みるのが好きだという人もけっこう多いと思う。

どんな本が本棚に並んでいるかで、その人の人となりを知る機会になるからだ。

内田樹の言うように、そこに、自己啓発本みないなものばかり並んでいたら相当がっかりすると思う。幸いなことに、まだそんな経験はない。

 

ここで考えた。本はもちろん、たとえ読まなくたって自分の欲望を叶える手段として、買って、棚に並べることができる。映画だって、いまはたいていDVDとして手元に置いておける。たとえそれをみることはなくても。

でも、演劇は違う。実際に足を運んで、みて、自分がみたかぎりを自分の頭に入れておくだけだ。DVDになることはあるけれど、個人的には映像化された演劇ってあまりおもしろいと思わないし、どうしても生の印象には劣る。

本棚に並べて、あとからにやにやする、という欲望を演劇は満たすことができない。

 

また、書棚についてこうも言っている。

 書棚の効果というのは、ちょっと変な話ですけれど、学歴詐称にちょっと似ているような気がします。

   <中略>

 人間は自分の達成したことについてしばしば「願望」と「事実」を取り違える。たしかに、そういうことがあります。同じことが書棚についても起きているのではないかと僕は思います。

 つまり、僕自身がよく経験することなんですけれど、うちに来て僕の書棚を見た人たちは、そこにある本を全部僕が読んでいると思っている。その内容をすっかり理解していると思っている。まさか、そんなわけないのに。

 

まさに、まさに。どういう本を取り揃えるかで、自分はいかに賢い人間なのかと知ってもらいたくてウズウズしている。自分の口で語るよりも、本棚は、より説得力を持って持ち主の知識を披露して、偽ってくれるのだ。

 

ここで演劇との関連を言えば、否定する人もいるだろうけれど、知的な匂いのする演劇を好んでみにいくというのも、似ていると思う。

映画に関しても同じことが言えると思うのだけど、わたし自身は、単館系でかかる映画もみるし、ハリウッドの超大作もみるので、かなり雑多な観客となる。

でも、演劇は違う。頭からっぽでたのしくみられる作品は好まないし、ほとんどみない。そもそもバリバリにエンターテイメントな演劇ってほとんどないんだけれど、映画と演劇の観客として、かなり差がある。

ここで演劇にとって書棚のような機能があれば、自分は間違いなくあとから眺めてにやにやするだろうし、そのにやにやすることがさらに自分を演劇好きにするだろうけれど、残念ながらそんなものは演劇にはない。

せめて、チケットの半券をとっておいたり手帳に貼ったりなどして、あとからにやにや眺めるくらいだ。

とっても残念だ。

 

そして、内田樹は出版文化についてこう語る。

 出版人たちが既得権を守りたいとほんとうに望んでいるなら、この読者人層をどうやって継続的に形成すべきか、それを最優先的に配慮するべきだろうと思います。

 それは「選書と配架にアイデンティティをかける人」の絶対数を増やすことです。この「読書人」たちの絶対数を広げれば広げるほど、リテラシーの高い読み手、書物につよく固着する読み手、書物に高額を投じることを惜しまない人々が登場してくる可能性が高まる。

 

単純な理屈です。図書館の意義もわかる、専業作家に経済的保証が必要であることもわかる、著作権を保護することのたいせつさもわかる、著作権がときに書物の価値を損なうリスクもわかる、すべてをきちんとわかっていて、出版文化を支えねばならないと本気で思う大人の読書人たちが数百万、数千万単位で存在することが、その国の出版文化の要件です。

 そのような集団を確保するために何をすべきなのか、僕たちはそのことから考え始めるべきでしょう。

 

演劇や映画も、観客数の低下を長年問題として抱えている。その産業に関わる人は当然事態を深刻に捉え、なんとか手立てを打ってはいるけれど、あまり効果はないというのが現状だろう。

内田樹の語る出版文化の形成について、まったく異議はない。ほんとうにそのとおりで、じゃあどうしたらいいんだろうって、考え、議論することが必要だろうな。

 

で、ここからはJASRACのことを暗に言っているのだろうかと思えるくらいにぴったりハマることを述べていて爽快だ。JASRACの方にぜひ読んでもらいたい。もう読んでいるかもしれないけれど。

 「著作物それ事態に価値が内在している」というのが著作権保護論者たちの採用している根本命題です。読者がいようといまいとそれには価値がある。だからこそ、それを受け取った者は(その価値を認めようと認めまいと)遅滞なく満額の代価を支払う義務がある。

   <中略>

 「私は贈与を受けた」と名乗る人が出現するまで、権利上、贈与者は存在しないからです。「贈与を受けた」という名乗りこそが「贈与者」にその資格を授権するのです。

 

この世に流通するすべての商品が、本来ならばそういうものなのだ。受け手がその価値を信頼してはじめて、そのモノは価値あるモノとして存在することになる。

演劇や映画なんて、その最たるものだ。日常には必ずしも必要でないそれらは時として隅に追いやられるけれど、必ず、必要とする人がいるのだ。生み出された作品は作り手の思いだけでは不完全で、受け手がいなければ絶対に完成系になり得ない。

映画の観客に比べ、演劇の観客はとてつもなく少なく、同じ時間、場所、そして映画に比べればかなりの大金を払った人だけがみることができるという、観客になる条件をかなり仔細に突きつけてくる、ある意味かなり傲慢なメディアであるのだけど、それをクリアしてみるに値する作品は、もちろん存在するとわたしは実体験から断言できる。

 

なんとなく最近、映画は、過去の出来事を表すのに向いているなと感じることがあって、それに、映像の持つ視覚による効果や技術によってリアリズムな表現を可能とするからそう思ったのだけど、反対に演劇は、いま、ここに生きる人が目の前で演じるということがあって、やはり、「いま、ここ」を表現するのに向いているんだろうなと思った。

その、「いま、ここ」という力を最大限に発揮しようではないか、と思う。

 

話は逸れたけれど、こういう仕組みを理解せず、ただ楽曲を商品として、著作権を保護しなければならない存在としてみているとしかその行動からは思えないから、JASRACがバッシングにあっているんだろうな。

 

生み出した作品に価値を感じてくれる人と出会うために(これだけだと誤解を与えるような発言だけど、批判されたくないわけではない)、アーティストは日々作品を生み出しているんだと思う。

わが封殺せしリリシズム/大島渚

リリシズム(lyricism):抒情主義

 

大島渚というと、若い頃のふっくらとした姿よりも、後年の痩せて眼光が鋭く、野坂昭如と殴り合いの乱闘を繰り広げたとか、ある種暴力的なイメージが強い。

 

表題の本には、撮影所で生きた大島渚のみたり考えたことが集約されていて、いま読むと歴史の証人といった内容になっていてかなりおもしろい。

また、日本の撮影所というシステムがいかに映画監督ほかスタッフや俳優を育て、すばらしい作品を世に送り出してきたかという実感をくれる。

映画監督協会の仕事に従事していたこともあるらしく(1980年には理事長になる)、スタッフの権利を守る仕事も行っていた。

稀代の映画監督がいかに考え、働き、映画という産業に身を投じていたかを知ろうではありませんか。

 

たとえば映画監督について、こう言っている。

 重要なのは、一人のすぐれた監督が出ることではなく、多くのすぐれた監督が出て、日本映画そのものがよくなることである。それを信じなければスタッフ達は何を希望として働くのか判らないではないか。

 その第一歩は今井正達先人の問題を中平・増村が背負って、その上に彼等の革新をなしとげることである。果敢な発言をする勇気を持つ彼等が、重荷を背負う力量と誠実を併せ持つことである。 

 

日本の映画監督が立たされる貧困な状況については、

  しかしすべての作家は絶えず衰弱の淵に立たされているのである。一度主体を失えば、転落の道はあまりにも早い。あとはただ自動的に映画が生産されて行く過程の一つのネジになるにすぎない。

   <中略>

 「勝手にしやがれ」(ジャン=リュック・ゴダール)を映画の魅力が不連続の連続にあることを再認識させた点で実にすばらしい映画だと思うが、あの中には作者が映画監督で一生食おうなどと考えていない良さがある。作家の主体が見事に貫けている原因はそこにあるとさえ思われる。

 貧しい日本の映画監督、映画人たちはそうはいかないのである。職業としての仕事の永続性を考えないわけに行かない。そこには当然陥し穴がある。主体を喪失してしまった方が或る意味で楽な立場が待っている。それらにおちいらぬために、作家は一つ一つの作品、一つ一つのカットの中に常に自己の主体の所在を検証しながら撮り続けていく外はない。そしてそのことではじめて観客と”にせ”でないつながりを持つことが出来るであろう。

 

ルイ・マルをはじめとしたフランスの新人監督たちについて。

 思うにマルは映画を愛し信じすぎているのではないか? これは一部を除いて外のフランスの新人達すべてに言えることであると思うが、彼等は一度きっぱりと映画なんて何だ! と言い切ってみる必要があるのではないか? そうでなければ彼等の現実意識と映画のイメージの逆転した関係は全く変わりようがないと思われるのである。

 (マルの言葉)「私は、映画の観客の進歩を信じています。人々が、ひまな二時間をつぶすために映画館に行くという時代は、すでに終わったと思います。映画の観客は、少しずつではありますが小説の読者に近づきつつあります。……まだまだ時間がかかるとしても、私たちは、映画から<大衆の阿片的要素>を取り去るべく努力すべきでしょう。ねむるために映画館へ行くのではなく、映画館に行くには、前の夜ぐっすりねむっておくようになるべきなのです」

そうした時代に映画作家に最も要求されるのは作家の現実意識と映画のイメージの正しいかかわり方であろう。それ以外に観客を映画につなぎとめる力はないことを、このすぐれた映画のイメージに溢れた映画『地下鉄のザジ』は教えてくれる、と語っている。

 

映画論や映画監督だけでなく、個人名を出して何名かの俳優についても語っているが、特に悪女を演じる岡田茉莉子仲代達矢への賛辞はものすごい。仲代達矢さんといえばいまも現役バリバリのすばらしい俳優に間違いはないのだけど、若い頃は、どれだけだったんだろう…大島渚が、仲代達矢の美しさについて「それは彼の外形の美しさが彼の美しい内部に支えられているからです」とまで言っている。

 

そんな仲代達矢の自己の鍛錬について、こうも言っている。すべての俳優に共通することだと思う。

 仲代達矢はじつに自分をよく訓練している俳優です(勿論、千田是也という良い指導者を得た幸せもあります)。訓練の一つの部面は、前に言った解放された自由な肉体と精神の持ち主である自分をつくるための戦いです。仲代達矢は素質に恵まれていたと同時に、この困難な戦いを実によく戦っています。

仲代達矢は、電車や街中で遭遇する人々の仕草や会話に注目し、ごくささいなことを昔ながらの役者根性で眺めていこうと語っている。そしてそれを、彼は、帰宅してからやってみるのでしょう…と大島渚は推測する。

当時主流だった、スタニスラフスキー・メソッドを学ぶことからは得られないものを、仲代達矢は知っていたのだ。

 

ほかに、俳優についてこう語っている。

 俳優さんは己を白紙にして想定された役柄になるのではない。あくまで、誰それというりっぱな個性を持った人間である俳優さんが、その自分の個性と役の人物の個性の絡み合いの中で一人の人間を生きるのである。

 

映画監督協会の一員として闘った、映画の著作権を著作者である監督の手から離して映画会社に帰属すると定めた法律が制定されたことに関して(芸術分野での著作権は、その著作者である作家に帰属することが前提であるとして)。

 世は芸術家過保護時代である。画家よ。音楽家よ。小説家よ。あなたがたの芸術家としての権利は、法律で守られている。あなたがたはその守られているという意味において芸術家なのだ。映画監督は断じて芸術家ではありえない。

 だから、そのことを映画監督は栄光とせよ、とも言える。私も時々、酔余、叫んでみる。昔、小説家にだって、画家にだって、著作権を与えられない時代はあったのだ。そのなかで、苦闘しながら、すぐれた作品を生んでいった。そして著作権を徐々に確立していったのだ。そうした先人が確立してくれた権利によって最初から過保護されている現代日本の芸術家諸君よりは、今、何一つ保護されず、作品をつくる条件をつくるところから始めなければならない映画監督の方が、はるかにすぐれた作品をつくりうるのだ。

日本の法律制定のおかしさについて、皮肉に富んでいる。ていうか、怒っている。

 

映画監督という職業について。

 私はかつて「映画をつくることは、犯罪行為である」と言った。映画をつくるに要する労力と経費に対して、その結果である収益の不確実性と期待不可能性は、この資本性社会においては、明らかに悪徳であり、犯罪的なのである。それを自覚しながら、なお映画をつくり、しかもそこへおのれの思いを塗りこめようとする者が、犯罪者でなくて何であろう。

 

大島渚の中には、革命への思いがあった。

 

今や貧富は分極化しつつあり、昭和四十年には破滅的な危機が到来すると警告した厚生白書はその片隅にすら席を与えられていないというのが、一九五八年から九年へ移り変わろうとする日本の精神的風土であり、それを反映して太平楽を並べているのが芸術の現状であるからこそ、現実を否定し変革するイメージが、しかも勝ち抜いて行くということだけはどうしても言って置かなければならないのです。

 

この本の中には映画の直接のつくり手ではない、本当にいろんな人が出てくるのだけど(特に映画批評家は多い)、音楽家の林光さんとも親交があったようで驚いた。

それから本当によく登場するのは映画批評家佐藤忠男さんなのだけど、だいたい、むっつりといった言葉がひっついていて笑える。若い頃を存じ上げないのだけれど、なんとなくイメージできるのと、佐藤忠男さん自身が、大島渚をはじめとした当時の新進気鋭の監督の作品を批評することで自分も批評家としてのキャリアを育てたとおっしゃっているので、まあ、こんなふうに言えるくらいには親交があったのだろうと想像できて微笑ましい。

 

最後に、最も共感した文章を引用して終わりにしたい。

 私は死者たちをのみ愛しているのであろうか。

 おそらくは、生者との愛のやりとりが、あまりにも自他を傷つけるので、愛する者を死者として封じこめようとしているのだろう。私が映画をつくるのは、そうした生者と死者の魂をしずめるためである。同時に、おのれがいかなる人間であるかを発見してゆくことによって、おのれの魂をしずめる道を捜しているのである。

11人の監督によるオムニバス映画/「11'09''01/セプテンバー11」

2001年、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに2機の飛行機が突っ込み、その後ビルは爆破されたかのように内部から倒壊。多くの死傷者を出す大惨事となった。

首謀者は、イスラム主義を標榜するアルカイダ創始者であり精神的指導者でもあるウサマ・ビンラディンと断定され、世論の後押しも得たアメリカ政府はアフガニスタンイラクへ侵攻した。

ウサマ・ビンラディンはアメリカ軍によって殺害されたが、アメリカ軍の侵攻は止まらず、時のアメリカ大統領・ブッシュは、大量破壊兵器保有するテロ支援国家であるとイラク・イラン・北朝鮮を名指しで批判、イラク戦争はその後実に8年にも渡る泥沼と化し、テロ組織を育む土壌となった。

2017年現在、イスラム過激派・ISISが、市民をも巻き込んだより残虐なテロ行為を繰り返している。フィリピンでも住民を巻き込む戦闘が起こり、どこか遠い国の出来事として認識していた日本人を驚かせた。

2001年から2017年へ、その16年の間に何人の人が傷つき、破壊され、苦しい生活を強いられてきたのか。わたしには皆目見当もつかない。

 

たまたま、映画「アメリカン・スナイパー」「ルート・アイリッシュ」を立て続けにみて、「セプテンバー11」という映画を思い出したのだ。

アメリカン・スナイパー」「ルート・アイリッシュ」ともに、もともと民間人だった(もともと民間人でなかった人間なんていないけれど)中東の戦場を体験した人間が主人公で、物語やそれぞれが従軍した背景といった設定はそれぞれ違うものの、そのどちらの主人公もクライマックスで死亡してしまう。

ひとりは凄惨な戦場での経験からPTSDを引き起こした元軍人に殺され、ひとりは無実の人をも巻き込む殺人を犯し、自殺する。

2人に共通するのは、すでに戦場を去ったあとに、戦場にまつわる何らかのために死んだということだ。

2人の主人公が経験した「中東の戦争」を思ったとき、学生の頃にみた「セプテンバー11」を思い出したのだ。

でも、みたと思っていた時期はおそらく記憶に間違いがある。公開当時に映画館でみたと思い込んでいたのだけどそれは間違いで、日本映画学校に通っていた2008年前後に、川崎市アートセンターで行われた今村昌平の特集上映でみたのだと思う。多分、そんな特集上映が行われていたと思う…たぶん。

そもそも公開された年は2002年なので、その時点でまだ中学生だった人間はこのような映画があるということすら知らなかった。2003年に高校生だったわたしが映画館でみた映画といえば、「パイレーツ・オブ・カリビアン」だ。ジョニー・デップに現を抜かしていたのが実に14年前だということに驚愕するが、そんな人間が「セプテンバー11」なんていう映画が公開されていることなど知る由もないのだった。

ちなみに2003年日本公開の映画というと、「小さな中国のお針子」「猟奇的な彼女」「戦場のピアニスト」「あの子を探して」「おばあちゃんの家」「ぼくんち」「愛してる、愛してない…」「チルソクの夏」「藍色夏恋」「ほえる犬は噛まない」「blue」等々、もちろん全部リアルタイムではなくあとからみているのだけど、かなり好きな映画が揃っている。

個人的な好みのごくごく一部の映画をここで挙げたが、こうみると、この年は中国・韓国・台湾・日本の映画がかなりいいことに気づく。

山下敦弘監督がまだマイナーな感じで、「ばかのハコ船」が公開されている頃だったみたい。

 

さて、本題に戻りたい。

あらためて「セプテンバー11」をみると、今村昌平が監督した11本目、このオムニバスのラストとなる作品しか記憶に残っておらず、ほかはすべて初見のような感覚だった。

うーんこれは、みたことがあると思い込んでいただけかもしれないという思いもよぎったが(でも、本編は覚えていないのに、インターバルのCGだけはみた記憶があったんだけど)、ラストの今村監督の番になり、これ、みたー!っていう記憶が一気に蘇った。

そうだ、丹波哲郎のエロ坊主もしっかり覚えていたもの。

 

2001年9月11日に起こった”あの”出来事を通して、11人の映画監督たちは何を思ったのか、何を描こうと思ったのか。

このようなオムニバスを企画した意図がとても好ましく思えた。

2001年9月にテロが起こって、 翌年2002年同日にメディアで公開されているので、その間たった一年である。一年の間に、世界に散らばる映画監督たちに参加を呼びかけ(当然、誰に監督してもらうかという検討は随分あったはずだ)、撮影し、オムニバス作品として並べ、公開する…というフットワークのよさは賞賛に価する。

演劇ではこういうの少ないな、っていうか、わたしの浅い演劇経験の中にはこのような企画は見当たらない。

やってみればいいのに。同じテーマを与えられても、まったく違う作品が立ち上がってくるから。それこそ多様性を感じる。

 

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イランの女性監督サミラ・マフマルバフは、イランに住むアフガニスタン難民の姿を切り取った。彼らは同時多発テロのニュースを聞き、老若男女まで、レンガ造りの核シェルターを作る仕事に従事していた。

若い女性教師は、そんなシェルターを作っても核爆弾を落とされたらひとたまりもないと言う。レンガ造りで泥だらけになるこどもたちに向けては、それよりも学校へ来て、勉強しましょう、と呼びかける。

ようやくこどもたちが集まった学校で、彼女はアメリカで起こったことを説明するのだが、こどもたちにはいまいち伝わらない様子だ。

女性教師の質問に、こどもたちは無邪気に答える。黙祷しましょうという彼女の言葉を否定するわけでも従うわけでもなく、お互いに無邪気な会話を続ける。

こどもたちには、ワールドトレードセンターはもとより、ビルという言葉が何を意味するのか、どんなものなのかということがわからない。

だから女性教師は、レンガを焼くために使用する高い煙突を指し、このような高いところに飛行機が突っ込んだのだと説明する。

こどもたちはその高い(といっても、ワールドトレードセンターよりははるかに低い)煙突を見上げ、ようやく静けさを得て黙祷する。

 

男女の愛を描くことに長けたフランスのクロード・ルルーシュ監督は、やはり一組の男女を描いた。

彼らは、911の前日に別れ話をし、別れる決心をした。

911当日、男性は、仕事のためワールドトレードセンターへ向かった。そして事件に巻き込まれ、泥だらけの姿になりながらも彼女のいる家へと帰った。

一切の音を遮断された彼女はいまだ事件を知らず、彼のひどい姿をみて驚いた。

それほど、予期せぬ、突然の出来事だった。

 

エジプトのユーゼフ・シャヒーン監督は、自らを主役に据えた作品を撮った。

彼は新作映画の記者会見をすることになっていたのだが、911を理由に、いまは女優の衣裳について語る気にはなれないと会見の延長を申し出、ジャーナリストたちから非難を受けながらその場を去った。

その後、海をみながら物思いにふける彼の前に、1983年のベイルートで起こった自爆テロで死んだという若いアメリカ兵が現れる。彼の姿は、監督にしか見えないらしい。

場面は変わり、監督は、パキスタン一家の家にいた。これからまさに自爆テロに向かわんとする息子と、その家族がいた。

ベトナムイラク、広島・長崎、パレスチナ、イラン、アフリカ…、これまでアメリカのために血を流した人々が数として現れる。

国益のためだと、若いアメリカ兵は言う。

対して監督は、その代償は誰が払うのだと叫んだ。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナのダニス・タノヴィッチ監督は、故郷であるボスニアの、内戦後の姿を描いた。

未亡人であるヒロインは、スレブレニツァの虐殺が起こった11日に行われるデモに参加するためスレブレニカ女性連合の事務所へ足を運び、そこで911を知る。

女性たちが神妙にそのニュースを食い入るように見つめる中、今日のデモは中止だと告げられるが、それでもヒロインは、ひとり、デモをしようと立ち上がる。

いや、ひとりではない。彼女の傍には、彼女を労わる車椅子の男がいる。

そして、歩きはじめたふたりのうしろに、多くの女性たちが静かに加わっていく。プラカードとしての幟が手から手へ、厳かな様子で続いていく。

 

ブルキナファソのイドリッサ・ウェドラゴオ監督は、病気の母親の薬代を稼ぐために学校を辞め新聞の販売をはじめた少年の姿を捉えた。

ある日少年は、ブルキナファソの街中でビン・ラディンによく似た男をみつける(イスラム教徒の特徴を兼ね備えているだけでまったく似ていないのだけど。ここがおもしろい)。彼を捕まえれば、2500万ドルだ!

ここでおもしろいのは、こどもたちが、2500万ドルという大金を何に使うかという話をする際に、エイズマラリアで苦しむ人たちを助けられると言うことだ。大人は金を何に使うか? 女と別荘とタバコだ、と、彼らは言う。

彼は学校の仲間たちと、ビン・ラディンを捕まえるべく奔走する。武器を手に取り、追跡し、ビデオカメラでこっそりと撮影する。

しかし空港のセキュリティで彼らの追跡は閉ざされ、ビン・ラディンとされた男は出国してしまう。

ビン・ラディン戻ってきて」と、少年は涙する。

 

イギリスのケン・ローチ監督は、1973年の同じく9月11日に起こったチリのクーデターを題材とした作品をつくった。

11分間、男は手紙を書き続ける。誰に? この事件で肉親や友人を亡くした人たちに向けてだ。この男は、1973年9月11日に起こったチリのクーデターを体験している。

1973年9月11日のチリで起こったクーデター。それは、チリの共産主義化を阻止するためのアメリカの乱暴だった。

実際の映像が差し込まれる。

チリの人民は、自らの手で、それも世界で初めて、自由選挙によって社会主義政権を選出した。

しかしその結果にドミノ理論による南アメリカ共産主義化を警戒するアメリカは反発、アメリカに支援された軍部が、合法的に選ばれたアジェンデ大統領ほか政府の人間を殺害、罪のない人々の血が大量に流された。

お互い、いつまでも忘れないようにしましょうと、男はペンを置いた。

 

メキシコのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督は、実際の映像を用い、暗闇と光による表現を選んだ。

人々のざわめき、暗闇、そして光、炎上するワールドトレードセンターの高層階から飛び降りる人、人、人…。

落ちていく間、彼らは身を翻す。手を羽ばたかせるように動かしている。まだ意識があるように見える。

しかし、行きつく先は固い地面である。結果は誰もがわかっている。

でも、ビルの中には逃げる隙間などなく、迫りつつある炎から逃げるにはこうするしかなかった。

癒しの音楽と、各国のニュース音声が聞こえる。

神の光は我々を導くのか、あるいは、我々を盲目にするのか。

 

イスラエルアモス・ギタイ監督は、同年同月同日、まさにその日にイスラエルで起こった自爆テロの様子を描いた。

事態の収拾に追われる警察や救急隊員を、マスコミや野次馬が邪魔する形になる。

女性ジャーナリストは警察に質問を投げかけるが、こんな事態なのだ、誰も答えはしない。

彼女はなおも現場に留まり、そして、同じ9月11日に起こった事件を口にする。

そこへ、ニューヨークで同時多発テロが起こったというニュースが入る。編成局長からは電話で、「ニューヨークで大事件が起こっているのに、くだらん情報番組なんてやっている暇はない」と叱る。

彼女は気落ちした様子で現場をあとにする。

いまここでも、テロ事件が起き、人々が傷ついているというのに。

 

インドのミラ・ナイール監督は、911後、行方不明となった息子を探す母親を撮った。

911後、イスラム教徒はいわれなき誹謗中傷を受けていた。母親は911後に行方不明となった息子を探しているのだが、FBIは、テロの容疑者ではないかと疑っている。

でも彼女は、息子を信じている。あの子はたしかにパキスタン生まれだけど、SFとテレビゲームとスター・ウォーズが好きなアメリカ国民だと訴えるのだが、疑いは晴れない。

ある日彼女は、電車の中に息子の面影をみる。

しかし、息子の姿をみかけたことで安堵する彼女に、知らせが届く。

息子はテロリストではなかった。それどころか、911発生直後の危険な中、ボランティア救命士として傷ついた人々を救おうと懸命に働いていたのだ。

ああ、あの電車に乗っていたのが、彼女の息子だったならどんなによかっただろうか。

彼女は人々に、こう語りかける。

「思いやりのある人間に育てた結果がこれなのか。誤った教育をしていなければ、死なずにすんだのか」と。

 

アメリカのショーン・ペン監督は、ニューヨークに住むひとりの男をほぼ唯一の登場人物としてファンタジーのような作品を撮った。

彼は、まるで同じ空間に妻がまだ存在しているかのように振る舞い、淡々としたひとりの生活を営んでいる。

この部屋は暗すぎると言う。そうなのだ、男の部屋は、ワールドトレードセンタービルにより日光が遮断されたところにある。

そして、あの日が訪れる。

地震のような振動のあと、男の部屋の窓からはまばゆい光が差し込んだ。

窓際に置いた枯れた花がみるみる咲き乱れる。

そこにはいない妻に向け笑っていた男の表情は、やがて悲しみに暮れた表情へと変わる。

明るく日が差した部屋で、彼は気づいたのだ。

 

11人の監督によるオムニバスのトリを飾るのは、我らが日本の今村昌平だ。

しかしこの直前のショーン・ペンもかなり不思議な作品を撮ったが、今村昌平の作品はそれをさらに上回る不思議さを持っている(現にこのふたつは評価の二分するところであるらしい)。

 

日本の今村昌平監督は、復員兵を描いた。

それも、変わっている。彼は腹ばいになってくねくねと前進し、家の中に作られた檻に入れられている。時折蛇のようにチラチラとした舌を出しては、本来家族である人間を威嚇する。

ある日、彼を不憫に思った母親が檻の中へ入り直接おにぎりを手渡したとき、彼は、母親の手を思いきり噛んでしまう。

いよいよ一緒にはいられないということでまるで本物の蛇のように箒で追い払われた彼は山へ逃げ、村人の追跡も危うく回避した彼のもとに、黄金色に輝く一匹の蛇が現れる。

やがて彼は地を這いずり、川の中へ潜って消えていく。

聖戦なんてありゃしないというスローガンが現れ、終幕。

 

なんだこの豪華キャスト、というのと、クレジットにいくつかの知った名前といまは亡き恩師の名前をみつけ、嬉しくなった。

11本の作品のうち、これだけは別次元の強烈さで、何度みてもよくわからないし気味の悪い作品だと思うけれど、何とはなしに、これをみなくては、という思いも沸いてくる。

なんか、すごい。

 

2017年の9月11日まで、あとわずかだ。