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あたまのなかのことばたち

ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』第一次世界大戦と『論理哲学論考』/L・ウィトゲンシュタイン 丸山空大[訳]星川啓慈・石神郁馬[解説]

ウィトゲンシュタインという名は、谷賢一主宰のテアトル・ド・アナール「従軍中のウィトゲンシュタインが(略)」

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ではじめて知って、なんとなく気になっていたんだけど、一度批評家の本を読もうとしてわけわからなくて断念してしまった。

で、なんとなく苦手意識をもっていたんだけど、今回、ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」を読んでかなりシンパシーを感じてしまった…。

ルサンチマン爆発っていうか…。人間・ウィトゲンシュタインに触れられたから。

 

なんというか、NEVERまとめを読むとすごい人です。

matome.naver.jp

 

言葉は世界を写し取るためのもの、でも、言葉でも説明できないものがある。

わたしの言語の限界は、わたしの世界の限界を意味する。

人生で悩んで意味があるのは具体的な問題だけであり、それ以外の問題はそもそも発想が間違っている。

 

ウィトゲンシュタインは「語ることのできる領域」と「語ることのできない領域」との間に明確な線引きをしたのである。そして、「真なる事柄を語る場合にはこうしなければいけない」ということを示し、「語りえないものについては何も語ってはいけない」と命じたのである。

 

いやあなんとなくわかるようでわからない、でも、なんとなく感じはわかる。

こうすぱっと言われると、わたしが目下悩み中の仕事だとか人間関係のことだとか、ほとんどのことは、悩む時間がもったいないとすら思えてきて気が楽になる。

 

なんでもこの「秘密の日記」は長らく遺稿管理人によって非公開にされており、公開するか否か大論争を巻き起こしたらしい。

性についても赤裸々に書かれてあるのでね…。もしわたしがウィトゲンシュタインで、これは公開しないと決めていたのなら、恥ずかしさで爆発していたかもしれないけど、そこはウィトゲンシュタイン。公開されることを望んでいたかもしれないとも思うけど、真相はすでに闇の中。

 

解説によるとこの本は暗号によって書かれていたそうだが、これは極めて簡単に解読できる暗号だったようだ。

ウィトゲンシュタインはこの暗号を他者の目を避けるためだけではなく、しばしば重要な着想を「急ぎ足のうわべだけの読者がすばやく読んでしまうことから護る」ために用いている。

 

この「秘密の日記」には、第一次世界大戦において、オーストリア=ハンガリー帝国軍の一兵士として東部戦線、ロシアとの戦いの前線に曝されたウィトゲンシュタインの日々が記されている。

高等教育を受けたウィトゲンシュタインは、本来ならもっと上の階級に所属するはずだったそうだが、何かの手違いで下級兵士に置かれた。

下級兵士たちの輪にも入れず、かといって指揮官にも違和感を抱く彼の身の置き場は軍のどこにもなく、けれど彼は表彰を受けるくらい勇敢に戦ったそうだ。

 

すなわち、他の人々に自分をあたえようとするとき、人はいとも簡単に自分自身を失ってしまうのだ。

 

僕が自分自身を護ろうと抵抗するとき、僕は無益に自分をすり減らす。

 

僕は心の中で何度も、自分に向ってトルストイの言葉を繰り返し言い聞かせている。「人間は肉において無力だが、霊を通して自由だ」 

 

一つの問題で行き詰っていると感じるときは、それについてさらに熟考してはならない。さもないと、その問題にずっととらわれたままになる。むしろ、どこかしら快適に座っていられる場所から、〔新たに〕考え始めなければならない。無理強いだけはいけない! 堅固な難問も、全てわれわれの前でおのずから解決するはずだ。

 

臆病な考えからくる、怯えた動揺、不安な物怖じ、女々しい嘆き、これらは惨めな状況を好転させないし、何時を自由にすることもない!

 

「正しく信じる心は全てを理解する」

 

例えば従軍中のウィトゲンシュタインは「恐怖のあまり自分自身を失いそうになる」のだが、「任務をまっとうできるように、自分自身を失わない人間になりたい」旨を何度も書いているのである。また、彼が自分自身を嫌悪していることは、『哲学宗教日記』(後出)にも執拗なまでに書かれている。すなわち、彼は「嫌悪の対象である自分からいかに脱すべきか」という問題と格闘しているのである。

 

「死の近さが僕に生の光をもたらす」とウィトゲンシュタインはいうのだが、彼は「死こそが、生にその意味を与える」(一九一六年五月九日)と考えている。これは「メメント・モリ」(自分が死ぬことを忘れるな)という、西洋キリスト教の伝統に繋がるのかもしれない。マクギネスは、「死のみが人生に意味をあたえる」〔死こそが、生にその意味を与える〕という言葉は少なくとも二つの意味をもつ、という。すなわち、「死を思うことのみが人生を好ましいものにする」ということと、「死に直面することのみが人生において価値がある」ということである。

 

悩んでいる人に特に薦めたい一冊。